
ちばてつや
「紫電改のタカ」講談社/昭和43年
のラストシーンです。大日本帝国陸軍航空隊のエースを主人公にしたマンガなのに、女二人がおはぎを持って、汽車を降りるシーンで終わっているのは、今の人が見ると訳が分からん、という感じなのではないでしょうか。解説しますと、二人は主人公の属する航空隊へ慰問に行こうとしています。ところが既に主人公は、特攻攻撃へ出撃した後、という訳です。
まあこのマンガあたりが、此の度辞任なさった国土交通大臣、中山成彬さんの目に敵にしている、戦後教育のひとつの成果。フツーの日本人が第二次世界大戦をどう捉えているか、でしょう。
「戦争は嫌だ」と。
辞任されたお奉行さまはよく解らん人です。大蔵官僚ご出身で、「日本の教育のガンは日教組だと思っている。ぶっ壊すために火の玉になる」という人が何で国土交通大臣になるのか、不思議です。実証好きで、大臣なんてシロートでも出来る、というのを実証なさろうとしたのか、「民間確認機構」「景観整備機構」で行政責任を回避し、建築基準法を「お上の言う通りにしろ」という戦前体制に戻そうとしたのか、単に「高速道路無料化」なんてヤツがいるところからすると、政治資金が集めやすそうだと思ったのか。
浜松には時の為政者のお気に召す、理想的な教育の聖地として有名になった、
興亜學村大久保教育の遺跡があります。日本が今の北朝鮮と同じだった頃、「滅私奉公」を子供に教え込んでいたところです。
JA大久保集荷場向かいのこちらは、公民館の駐車場になってしまい、石段しか残っていませんが、「自分の頭で考えてはイケマセン。先生の言う通りにしなさい」という興亜教育の真髄は、「イジメ」と形を変えてこの国を蝕み続けています。
「神風攻撃隊は天皇の命令によるものでなく、志願兵であるから、ちゃんとした飛行機は、天皇の命令による正規の航空隊に廻し、失っても良い飛行機を特攻隊に廻した。」
そうなので、陸軍343航空隊のエース、滝上飛曹は機関の故障で奄美大島に不時着したのかもしれません。そうであればどんな先生になっていたかも興味があります。