2021年 08月 01日
黒い雨 |
黒い雨
浜松には6月18日の空襲記念日というものある。オリンピック期間中の命日は次のようだ。
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現在の8131 15th Ave. SW Seattle 米国大統領閣下も慰霊祭に遅刻したり、肝心なところを抜かしてしまうのだろうか。21世紀は20世紀に比べて「国家」の存在感が薄れているよう、見受けられる。
本書所収の という方へ向かっているのだが、最後の国家が中華人民共和国だろう。中華が早くインスタント麺のブランドになる日を願う。
本書には閑間重松が妻シゲ子に書かせた
広島にて戦時下に於ける食生活
が納められているので、我々団塊の世代が結核を卒業して糖尿病世代になった原因がよく判る。なんの気無しに食べている日々の献立も戦時下に比べれば贅沢の極みだ。ダイエットをしたい向きには好適の参考書だ。
井伏鱒二
姪の結婚 改題
新潮 昭和40年~41年
新潮文庫 昭和45年 27刷 昭和
この数年来小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じてきた。数年来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持ちであった。二重にも三重にも負担を引き受けているようなものである。理由は矢須子の縁が遠いという簡単なような事情だが、戦争末期、矢須子は女子徴用で広島市の第二中学校奉仕隊の炊事部に勤務していたらしいという噂を立てられて、広島から四十何里東方の小畠村の人たちは、矢須子が原爆病患者だと云っている。患者であることを重松夫妻が秘し隠していると云っている。だから縁遠い。近所への縁談の聞き合わせに来る人も、この噂を聞いては一も二もなく逃げ腰になって話を切り上げてしまう。
と始まるので、そのまま終わりまで読んでしまわなければならない。今日から8月だ。日本には歳時記という有難いものがあるので、8月になると日本人は先の戦争に気持ちを向けなければならない。
昭和20年7月24日7:10
艦載機 約70機 小型爆弾 機銃掃射
投下爆弾3
広沢、八幡、砂山、寺島
死者1 軽傷4 半壊2
昭和20年7月25日6:00
艦載機 12機 焼夷弾 機銃掃射
東伊場、砂山、助信、森田
投下焼夷弾11
死者11 重傷13 非住居全焼
昭和20年7月26日8:45
B24 1機 1トン魚雷
将監
投下爆弾1
軽症2 住居全焼56 半壊66
昭和20年7月29日13:23
艦艇8隻 40サンチ1トン砲弾
全市26ヵ町
艦砲2,000
死者170重症58 軽症37
住居全壊226 半壊182 小破163
非住居全壊 全壊27 半壊14 小破1 全焼1 小焼4
昭和20年8月1日20:05
B29 1機
野口、船越、新津
6ポンド焼夷弾500
非住居半壊17 小破3
梅雨の間湿度が上がると、防空壕の中は如何ばかりだったかと思われる。姉の一人は学徒動員で楽器へ風船爆弾を作りに行き、空襲警報で転輪時に逃げて防空壕に入れてもらおうと思ったら、
ここは町内のものしか入れん。
と断られたことがあるそうだ。
IOCのバッハ会長は閉会式が8月8日なので、先に広島へ慰霊に行って来た。言うまでもなくオリンピックは「国家」という20世紀の残骸を賞揚するものだが、広島へ慰霊に行っても、そこは考えなかっただろう。
国家が間違っていたら、とは考えない人が多いのではあるまいか。国家の組織的犯行がバレても、ROCでメダルを取れば良いのだ。
1966年に静岡県の一家4人が殺害された事件で死刑が確定し、静岡地裁の再審開始決定を受けて釈放された袴田巌さん(85)の差し戻し審で、検察側が、衣類に付着した血痕の変色について、弁護側の主張に反論する意見書を東京高裁に提出したそうだ。この国の法務省は国家が間違っていたら、とは考えない人で出来ているのだろう。疑問を感じたにしても、
先輩の顔に泥は塗れん。
という事で無罪判決は出ない。専門家の意見書など忖度で量産できる。袴田さんはとにかく長生きをして、有罪判決を出した裁判官が、皆天寿を全うするまで長生きをしてほしい。しばらく前まで神様みたいな表情だったのが、普通の年寄りになって来たのが救いだ。
小畠村の閑間重松は爆心地の千田町2丁目862に自宅である寓居があった。在所は小畠村
昭和20年8月6日 朝
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僕は朝の出勤でいつもの通り可部行きの電車に乗るため横川駅の構内に入った。ちょうど発射間際であった。改札口のところに顔見知りの駅員が一人いるだけで、プラットフォームには一人も乗客がいなかった。僕が乗降台に飛び乗ると、「閑間さん、お早うございます。」と云う声がした。見ると、同じ乗降台に経っている高橋紡績刷子工場の女主人が、指に綾をつけて後れ毛を掻き上げながら云った。「閑馬さん、こんなところで何ですけれど、せんだってお願いしてあった書類に、御印鑑を頂きに……」
そのとき発射寸前の電車の左側3メートルぐらいのところに、目もくらむほど強烈な光の球が見えた。同時に真暗闇になって何も見えなくなった。瞬間に黒い幕か何かに包み込まれたようであった。「出ろ、出ろ」「退け、退け」「降りろ」「痛い」「きゃあ」と云う叫び声、怒鳴る声、悲鳴。それと共に、どっと車内から乗客が押し出してきた。僕は乗降台からプラットフォームと反対側の線路上に押し飛ばされて、誰か女の人らしい柔らかい体の上に被さった。僕の上にも重い人体が被さった。右側にも左側にも人が重なり合った。「おおい、止せ、止せ」と僕が叫ぶと、僕の頭に頭を接している人が「止めれ止めれ、こらあ」と僕の耳もとで叫ぶのが同時であった、僕は悲鳴と喚き声に分厚く取巻かれ、僕に被さっている人を振落として辛うじて起き上がった。そこで力の限り人を押しのけ突きのけしてゆくと、後ろから押しまくられて固いものに突き当たった。プラットフォームの側面だと分かったので、肘で人を押しのけて上に這い上がった。
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1945年8月6日午前8時15分市内ほぼ中央に位置するT字形の相生橋上空600メートルで原子爆弾リトルボーイが炸裂した。これによる 火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、閑間重松が数分前に歩いたであろう、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度となった。
屋外にいた人は全身の皮膚が炭化し、内臓組織に至るまで高熱で水分が蒸発していった。苦悶の姿態の形状を示す「水気の無い黒焦げの遺骸」が道路などに大量に残された。しかし即死した人々は何が起こったのか、知る由もなく、閑間重松と矢須子よりも幸せだったかもしれない。
黒い雨というのは、原子爆弾炸裂時に数千度の高温により蒸発し、巻き上げられた泥やほこり、すすや放射性物質などを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨で、放射性降下物の一種とのこと。
矢須子は近郊の古江から家財道具を在所に運ぶ手伝いをしていると、戸外で青白い光が凄く閃いた。
午前10時頃ではなかったかと思う。雷鳴を轟かせる黒雲が市街の方から押し寄せて、降ってくるのは黒い万年昼ぐらな太さの棒のような雨であった。
1946年の東京裁判で、被告たちは「平和に対する罪」「人道に対する罪」によって裁かれているが、昭和16年日本軍部を煽って真珠湾攻撃に追い込み、空母・新鋭戦艦のいない真珠湾で、アラバマなど艦歴30年を越すスクラップを餌に日本に攻撃させ、「奇襲攻撃の卑怯者」呼ばわりしたルーズベルトは、毎週連合艦隊の位置情報を報告されていたそうだが、「平和に対する罪」は問われていない。
意外かもしれないが、日本人が「天下泰平」を目出度いものと考えるのと対照的に、米国人にとっては「天下泰平」は目出度いものでは無いらしい。西部劇にはじまって、米西戦争も太平洋戦争も「逆らうものは殺す」ということで大きくなった国だ。彼の国では戦争が目出度い物なのだ。日光様が天下を統一した後で、振袖火事で江戸城本丸が焼け落ちると、三代将軍家光の弟保科正之は再建論を抑えて、
天守閣は天下泰平の世に相応しくない。
として天守閣再建を許さなかった。まあ日本でも
お城ダイスキ。
という人も多い。特に関ヶ原の戦いまで、
京都以西は全て毛利のもの。
と考えていたのに、戦さに負けて萩指月城に押し込めになった人々は、それから二百年余、刀の刃を研ぎ続けていた。徳川幕府が長州征伐に勝てなかった原因だ。近くは「戦後保守政治の総決算」なんちゃって、戦闘機から731号機を探し出してはしゃいでいる人もいる。支那には四川省の山中にICBMを収める数百機の地下サイロがあるそうで、戦さになれば日本中に黒い雨が降るのだが、どう責任を取るつもりだろう。
1945年末までの広島における原爆関連死が約20数万人ほどで、真珠湾以降の太平洋戦争を通じての米軍の戦死者が20数万人と言われている。インドから来たパル判事は「人道に対する罪」と言うより「白人殺傷の罪」と言いたげだ。
2021年7月14日いわゆる“黒い雨”を浴びて健康被害を受けたと住民などが訴えた裁判で、日本政府は原告全員を被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付するよう広島市などに命じた。
天下泰平を価値観とする日本ではルールというとスポーツの規則だと思っているだろうが。インドなど白人キリスト教徒の植民地を経験した国では「ルール」は「支配」であり、逆らうものは殺す、という歴史を持っている。何の娯楽もない米国西部で、村人の最高の楽しみは悪者の縛り首だったそうだと、NielYoung君が"Americana"で歌っている通り、
悪者を殺す
のが米国の国風だ。津久井やまゆり園の19人殺しも、そんなゲームにはまっていたのではあるまいか。
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本書は昭和21年8月15日で筆を措く。76年後、菅義偉氏は慰霊祭で
核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします
との誓いや、
核兵器の非人道性 唯一の戦争被爆国
などのキーワードを含むページを読み飛ばしていた。そこが一番読まなければならないと思っているわけではない首相に忖度し、側近が謝って糊をこぼしたのだろう。
日本は将来的な核兵器の全廃へ向けた、核兵器を包括的に法的禁止とする初めての国際条約である核兵器禁止条約に、アメリカ合衆国との軍事同盟を結んでいるため、参加していない。
8時15分、散歩の途中周りを見ると、市役所職員は足早に通り過ぎる。黙祷していたのは家族づれの三人だけだった。本書には
わしらは国家のない国に生まれたかったのう。
というつぶやきが収められているが、運動会ということで相変わらず国旗掲揚・国歌吹奏をやっている。
閑間重松は妻に食事のことを記録しておけと命ずる。これを読むと、日本では糖尿病が団塊の世代から始まっているのは、戦後食べ物が出廻ってきたときに、親達がとにかく食べさせたからかもしれない。
自身は工場長に命ぜられ、僧侶の代わりに葬式の主宰を続けている。広島は門徒が多いのだろう。お寺で「白骨」というのを教わる。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。されば、人間の儚き事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ
私が高校の頃、教師の一人が広島で下士官であり、その瞬間
天守閣がそのままの形で100m程空中に浮き上がった。
のを見ている。見えたのか、感じたのか、後日取りまとめたのかは聞かなかった。
松川八洲雄カントクの「とべない沈黙」を見ると、広島にプロ野球が出来た背景が感じられる。原爆・プロ野球・テレビは3点セットだ。
沈黙には一旦口を開いたら一生の全てが別のものになってしまう沈黙もある。
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東京新聞に、幸せな平民がある日別の運命に遭遇してしまう、というルポルタージュ。
ヒュー・アトキンソン(26)君に赤紙がくる。 かわいい盛りの当寺シャロンちゃんを残して応召。
戦地からはせっせとハガキが来る。 7月28日、呉軍港に係留中だった戦艦「榛名はるな」などの艦艇を爆撃機や空母艦載機で一斉攻撃したが、武運拙く反撃で22機が撃墜された。アトキンソン君は他の11名とともに連行され、相生橋から500mにある憲兵隊に収監された。衰弱しており意識は無く、数日後死亡。
戦地からはせっせとハガキが来る。
恐怖を覚えるよりはよかった。
わしらは国家のない国に生まれたかったのう
by dehoudai
| 2021-08-01 09:57
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