2019年 10月 19日
浜松城跡 |
浜松城跡見学会というのをやっていたので、覗いてみた。
東海道に名も高き
街の最中の大空に
の「最中」というとお菓子しか思い浮かばないので、どうして「もなか」なのか理解したのは後のことだ。子供に理解できない歌を歌わせるのは如何なものかと思う。現在の天守閣は昭和33年に出来たもので、幕藩時代に天守閣があったという記録は無い。広重の「浜松」は見てきたような嘘をついたのだ。
同じく平面。 紺色が表向き、ピンクが奥向き。二の丸御殿は現在の市役所へ車で入って、地下駐車場の入り口あたりだとのこと。その西側に御誕生場とあるのは、二代将軍が生まれた辺りで、そこにあった産土社を集めて五社神社にしたのだろうという話だった。
浜松は出世城なので、日光様が天下を取ると、浜松藩といっても御城代みたいなもので、御国入もそれほど大袈裟ではなかったかもしれない。
「殿、百姓女のお味は如何でござる。」の井上正甫侯の事件も、出世城ということで、唐津-浜松-棚倉の三方所替えで奏者番を狙った、水野忠邦の仕掛けたものではなかろうか、場所が内藤新宿というのも怪しい。絵嶋事件の江嶋がお預となったのも高遠であり、内藤家というのは幕府中枢の汚れ役、という感じがする。誰か正甫侯の濡れ衣を晴らすものはおらんか。
by dehoudai
| 2019-10-19 15:30
| まちづくり
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