2019年 10月 02日
おさんぽ |
幕府衰亡論を読んでいて遠州報国隊を思い出したので、利町公園までおさんぽ。5時の外気温24˚Cと彼岸過ぎにしては暑い。
五社神社は城内にあった五社をまとめたそうだ。 社務所の前にある光海霊神の碑は森暉昌を讃えるものらしい。 うなてりのみたまというのは、冬波の向こうから日光の照る様にこの星のエコシステムのありがたさを感じたものではなかろうかというのが私見。
慶應4年官軍が坂東を目指すと、遠州の神主連は遠州報国隊なるものを組織し、江戸まで付き従ったが、十一月宮御凱陣ニ付両隊共帰国申付候処、元々遠州は譜代であり、帰国したものが暗闇でぶすり、というのもあったそうで、萩の招魂社を九段坂上に担いで来た東京招魂社の長屋に住んで、扶持米を貰っていたそうだ。中には神主といっても古学よりヤットウの口で、ガードマンぐらいしか務まらないものもいただろう。あれらを再教育せねばならんということで作られたのが国学院大学だそうな。
帰り道にはサンプルが古ぼけた食堂もあった。近所の人に出前をするだけなら、サンプルも必要ないのだろう。 浜松もそうだが、坂東にも「三河屋」という蕎麦屋は多い。三河から来た人が始めた、というより「三河以来」ということでオサムライサンにアピールしようというネーミングかもしれない。「八丁味噌」の「赤だし」というのも同じ趣向だろう。しかし「イチビキ」が「名古屋八丁」とやるようでは世も末だ。あれは岡崎城大手門西八丁というDOPなのを、役人が知らずに騒ぎがあったところだ。
by dehoudai
| 2019-10-02 13:06
| まちづくり
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