2019年 05月 14日
米中貿易戦争 |
usatodayに米中貿易戦争の決戦場は中国製品の津波ではなく、知的所有権だと言う記事。
人々が求めているのは「優れたもの」であって「誰が考えたか」ではない。と言う中国式の考え方を認めず、コピー商品を悪いことだと言うのが米国の主張だ。
日清食品がインスタントラーメンを出すと、雨後の筍のごとく模造品・粗悪品が市場に溢れたそうだ。そこで安藤百福のとった手段は、すでに取得していた特許だけでなく、製法を公開し、後発メーカーを指導したのだそうだ。特許を防衛するために弁護士に費用を出せば、日清食品には少しの利益がもたらされただろうが、世界人口が毎年10数食を消費するものにはならなかっただろう。いずれが人類に資するかを北京政府が問うている。
中国の大学の建物が、皆バロックだのゴシックだのといった現象を揶揄する記事もあったが、模倣は最高の賞賛なのだ。文明開化の時代の日本の大学も、建物のデザインは概ね西洋のパクリなので、笑うわけにはいかない。浜松でも大学の前にはゴシック式の結婚式場あり、浜名湖にはルイ14世風の結婚式場ありで、中国が目くそなら日本も鼻くそぐらいのものだ。
東アジア儒教圏には「必要なことは皆論語に書いてある」というのが社会の基層になっているようなところがある。「考えつく」ことには価値が無く「知っている」ことが知的所有権だ。
知っていることを競い合って、沢山知っているものが東京大学へ入学を許され、エリートとなって「国家公務員は金飯碗、県職員は銀飯碗、地方公務員は鉄飯碗」というのが日本のシステムなので、公務員になり損なってテレビのクイズ番組の回答者になるのもエリートだ。
日本を支えてきたのは常に「予算を使うのが仕事」という公務員ではなく、「課長になると雑用に追われるから、係長にしておいてくれ。」と言った田中耕一さんのような職人だった。頭で考えるのでなく、手で考えることでは日本の職人は世界でも一流で、iPhoneの部品も1/3が日本製だそうな。
米中貿易戦争は米国が「世界の工場」ではなくなったことを米国が認めないというだけのことで、1987年にグリーンスパンさんが米国を「世界の工場」から「世界の博打場」にた続きだ。
日本経済が立ち行かなくなったら、前回のように「戦争やってチャラ」ではなく「予算を使うのが仕事」という公務員を無くせば良い。あとは職人がなんとかする。
ドイツでも東電福島第一の頃に「脱原発」をぶち上げて、ドイツの未来は環境・経済・技術の上で、「脱原発」にかかっているとなったのだが、15年経ってみるとサッパリ事業化の目処が立っておらず、石油・石炭をエネルギー源としている。石油自動車からの脱却も進んでいない。「予算を消化して給料をもらう」役人の海で溺れかけているようなところもある。
spiegel 日本もバブル前の消費に戻せばちょうど原発不要の勘定だが、「消費で幸せ」と言う病から立ち直るには道のりは遠そうだ。資源探査技術の進化で、石油の埋蔵量は後10,000年分、と言う予測もあるようだ。石油が枯渇する前に人類はPM2.5で滅亡するかもしれん。
色即是空 空即是色
190515
大阪にはもう一回日露戦争をやって国後択捉を取り返そうと言う阿呆がいたそうだ。戦闘と戦争の区別がつかんような奴に限って、威勢の良いことを言うのにも困ったものだ。その口車に乗る選挙民も義務教育で阿呆にされているのだろう。
維新というが、長州のエリートは馬関戦争でくっちゃんくっちゃんにされてから、白人のポチになることが維新と心得ていたようだ。それに対して志賀重昂・三宅雪嶺らの「日本人」は「白人の植民地になってはいけない。」という国粋主義の本流で、第二次大戦後の白人のポチ右翼とは全く逆なのだ。
内閣総理大臣閣下に至っては、白人にしっぽを振るのが保守本流だと心得ているので、プーチンに「北方領土が、、」と尻尾を振りに行っても、軽くあしらわれてヨシで、自分専用機代が無駄になっただけだ。
190518
米中貿易戦争の商店の一つは知的所有権だろうが、中国のファミマは「ビジネスモデルは一通り解った。」みたいなことを考えているかも。コンビニもブランド戦争の時代に突入か?
Nikeの6,500円も中国製知らないブランドの2,000円も履き心地といい保ちといい、変わらないのだ。しかし台湾のコンビニは雑然としているのに比べて日本のコンビニは整頓が行き届いて清潔な感じがするのは、知的所有権とは別の問題で、日本のコンビニがいくら指導しても無理なのだろう。
190523
同じ様にPOSシステムで運用しているのだろうが、日本のコンビニには「買い物を楽しむ」ことを前提にしている様に見えるのに対し、台湾のコンビニは限られた面積で、商品を集積する、ということを極限まで突き詰めている様お見受けする。棚の間を通るには袖が棚に触れて商品を落とさないか、気をつけなければいけない。思い起こすと50年前の日本の駄菓子屋がこんな感じではなかっただろうか。
by dehoudai
| 2019-05-14 12:55
| にゅーす
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