2019年 03月 28日
ものとこと |
さて、古色の出たSchlageのPlymouth knobは無事bright brassの新しいノブに変わった。
建材輸入ということで始めたものが、28年の間に様々な出来事があり、実感したのは
ものの輸入は簡単だが、ことの輸入は簡単ではない。
ということだった。例えばドアという「もの」を輸入するのは簡単だが、ドアとは何か、という「こと」にはそれぞれの場所の歴史があり、それほど簡単ではない。日本では「店」というと入口を広く開け放って、目隠しに暖簾を下げたものが入りやすい印象を演出する。やがてはそれが「暖簾の重み」などという使い方をされるようになる。のれんには夏季に高温多湿という気象条件だけでなく、世界の工業国の中で、日本が唯一城壁を持たなかった、という歴史のせいでもあるだろう。
西洋でも中国でも人の住むところは壁で囲まれていた歴史が長い。今では壁が取り払われて高速道路になっているものはパリなどで見ることができる。中国では他民族の侵入を防ぐ様な意味もあっただろうが、西欧の様に家畜を擁する文明では、家畜が逃げない様に石垣を廻すという歴史もある。英国ではこれが私有地の始まり、ということで、古い石垣が土地の全てを区切っている様は壮観だ。
日本は単一民族、とまとめられることが多く、家畜といっても家族の一員で、逃げない様に石垣で囲うこともなかった。城門こそあれ、市門といったものもなく、民家の入り口に戸を立てるといっても、隣が障子では頑丈な敵を防ぐ装置にはならない。
それが日本以外の国々では入口は内外を截然と区切る重要な装置で、開けたままというのはあり得ない。中に入るには戸を開けるという儀式が必要で、それは自分の意思に拠らなければならない。
メトロポリス
フリッツ・ラング
1926/ワイマール共和国作品
に描かれた夢遊病者を誘い込み、思考力を奪い取る恐ろしい施設を連想させるかもしれない。戸を開けたままにしておくのは、日本式に考えれば皆さんいらっしゃい、ということになるだろうが、洋式では皆さんいらっしゃいというのはドアの役目ではない。この辺りが「もの」の輸入と違って「こと」の輸入の難しいところだ。
郊外型ショッピングセンターの膨大な品揃えを見てめまいを起こしたのだが、もう一つ気づいたのは「もの」の品揃えには国境が無くなりつつあることだった。浜松でもシアトルでもシンガポールでも同じ様なものが売られている。国境が無くなると頼りになるのはブランドだ。知らないマイナーブランドの運動靴だと2,000円だが、知ったブランドがついていると6,000円になるのを見ると、品質というよりブランド代、という感じがする。
近年言われる「情報革命」の一つの側面は「ものとこと」の関係が今までとは変わってしまった、ということではなかろうか。ドアノブの様に「もの」の向こうに様々な「こと」が積み重なっている場合もあれば、コンピュータゲームの様に世界中同じという場合もある。中国大陸に「自家用・藤原豆腐店」と書かれたカローラレビンが大量発生したり、武漢大学の花見に羽織袴で出かけた若者が「和服禁止」と突き出されるのも、浜松城公園にポケモン拾いの人々が、景色を見ずにケータイを見ながらうろついているのも、我々の若い頃には想像できなかったことだ。
by dehoudai
| 2019-03-28 11:36
| きせつ
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