2019年 03月 03日
ほんとうの法華経 |
橋爪大三郎・植木雅敏
CHIKUMA SHINSHO 2015
図書館で本書を手に取ったのは、先日無理な姿勢で体重を支え続け、腰を痛めたためだ。この状態では大工仕事は無理なので、しばらく本でも読んで静養することに。この本なら読んでいるうちに姿勢が良くなるかもしれんと思った次第。
読んでみると結構面白い。日頃何気なく使っている言葉の中にも、釈尊の教えに接する機会はいくらでもあることに気付かされる。
「法華経」というのは紀元前5世紀に釈尊72歳から80歳で亡くなるまでの講義録で、直接それを聞いた人たちが
如是我聞
とまとめたものだそうだ。その後原始仏教から小乗仏教が派生し、それに対して「誰でも成仏できる。」という大乗仏教がまとめられたが、結局教えが広まると権威化してしまい、仏に近づくほど仏から遠ざかる、となってしまったことへの反省が繰り返された。
「ほんとうの」とあるのは、これまで鳩摩羅什の漢訳からの日本語への重訳が広く伝えられてきたものが、19世紀にサンスクリットの原典が発見されて、それを植木さんが改めて訳したものについて論じているからだ。原典はアショカ王が紀元前1世紀ごろにスリランカに伝えるよう命じだものが、そのまま椰子の葉を刻んで伝え続けられてきたものという。 これを新たに現代語に訳したのが植木雅敏さんで、本書はそれを元にした「入門編」だ。
嘘も方便というが、方便とは近づくことだそうだ。人々が求めているのは真実に近づく方法ではなく、真実そのものだということになる。近代の特許制度に守られた「知的財産」とは違う考え方だろう。
過去・現在・未来というのも、近代的な時計で測る時間とは違っているようだ。生物学者に言わせれば
人間なんて高等生物だから、1万年やそこらじゃ進化しませんヨ。
というわけで、1秒前のことか、50年前のことか、50億年前のことか、実は気がついていないことも多い。
ちびまる子の家は清水市入江町で50年前にはたいそう賑やかだったようだ。それが造船業の後退などで次第に寂れてきた。ちびまる子のプロットには「あの頃は楽しかった。」というのが流れているようだ。クレヨンしんちゃんも「人間のやることなんて10歳位でだいたい分かる。」と考えているのだろう。それに毛が生えたのが「チコちゃんに叱られる」だろう。森町の森町病院では毎日患者が小学校の同窓会をやっている様だが、高齢者の健康法としては優れものだ。
ヨガというのもあるが、
Shunryu Suzuki
Weatherhill 1973
には
姿勢を正しくしましょう
正しく座る事が仏教です
とある。
10年ほど前に貸事務所の屋根裏を引き払って母の使っていた部屋へ移ったのを、今度元の場所に来てみると、姿勢を正しくすることの重要なことを改めて実感する。建築物の設計にのめり込んでいると、かなり不自然な姿勢を取り続けていたのではなかろうかと思う。それが五十年も続いたのだから、体に良かろうはずは無い。改めてコンピュータの操作も正対して、椅子に座るのも深く、本を読むのも姿勢を正しくして、と気づいた次第。 ♪華経、華経、華経、、法、法華経
というわけだが、
♪仏法僧
というのもある。 仏法僧を知りたければ鳳来寺町立博物館がおすすめであります。鳳来寺には鳳来寺立鳳来寺女子高等学園というのもあった様です。
鳳来寺に詣でるには車で頂上駐車場まで行かず、角谷に車をおいて表参道を登るのが面白いです。https://dehoudai.exblog.jp/24034740/
by dehoudai
| 2019-03-03 07:14
| ほん
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