2019年 02月 21日
国鉄品川 |
国鉄品川
中村宏 1955
館蔵品ということで、3月5日から4月3日まで浜松市美術館で展示があるそうだ。
中村宏が上京し、奥山線のらっきょう軽便に比べて圧倒的なD51に刮目したことがうかがわれる。この絵が書かれた頃、私は小学校へ入学、浜松市内にはポンポンのブランドメーカーが20社以上あったそうで、ポンポンが売れれば賃上げ運動も盛んだったようだ。公共企業体等労働組合協議会というのが作られ、組合運動の火の手が盛んに上がっていた。国労・動労を始めとする公労協は動員力もあり、共産党・社会党の支持基盤でもあった。
それから5年、満州から引き揚げ、縁者が持っていた舞阪の保養所で暮らしていた我が家は、浜松城の裏に引っ越した。
いぇーいぇー、おんしゃどーするでー?
と、女言葉の無い舞阪の娘たちとは違い、中心市街地の娘たちはキラキラと輝いていた。
中村宏は女学校の子だったので、小さい時からストッキングを履いた女達の恐ろしさが身にしみていたのだろう。東京国立近代美術館お買い上げの
円環列車・B-飛行する蒸気機関車
中村宏 1969
では、それまでの社会的モチーフから離れて、
女は怖えーぞ。
という新たなモチーフが現れる。
私は上京すると新宿駅西口地下広場で、歌を歌えば、世の中が変わるかもしれない、と騒いでいた。
50年。
女は怖えーぞ。
というのはAKB48に見る通り、男に媚びを売る子供がテレビから垂れ流しになった。マスゾエ・モトツマやら稲田トモチャンなどが選挙目当てか「私もセクハラの被害者。」などと言っているが、この国におけるジェンダー格差の是正はさっぱり広がらない。労働運動も影を潜め、
朝鮮人は殺せば殺すほど儲かる。
という飯塚のAさんの差し金か、建設・介護は外国人という、かっての被差別部落のような制度も出来た。もはや「国鉄品川」という時代では無い。
日本には古来資源と言っても人的資源しかなく、それがこれまで国家を支えてきたのだが、Aさんみたいなお方は、日本の繁栄の理由はお分かりにならないようだ。
by dehoudai
| 2019-02-21 10:51
| きせつ
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