2019年 01月 29日
諏訪神社 |
中嶋町諏訪神社までお散歩。自宅を出ると小学生がランドセルをこちらに向けてにじり寄ってくる。何事かと思ったら、風が強いのでまともに顔を向けられないのだろう。遠州空っ風でマッサージをすると美人になるかもしれんぞ。
もっとすごいのは弁天から通う舞阪小学校の子供だ。下校時西風の盛りなので、手すりにしがみついて一歩ずつ足を運ばないと、風で湖上に吹き飛ばされてしまう。進学塾よりもはるかに貴重な教育だ。
もっとすごいのは弁天から通う舞阪小学校の子供だ。下校時西風の盛りなので、手すりにしがみついて一歩ずつ足を運ばないと、風で湖上に吹き飛ばされてしまう。進学塾よりもはるかに貴重な教育だ。
遠州人も空っ風で、過ぎたことはすぐ忘れてしまう。「やらまいか」というのは自分が先走るのでなく、他人を煽っておいて、煽られたやつがドブにはまると「ふーむ、あそこがいけなかったのか、じゃあ俺はこうすれば良い。」というのが本格だそうだ。
諏訪神社は
御祭神 建御名方命
御由緒 延暦10年(790)征夷大将軍・坂上田村麿が勅を奉じて下向したとき、現在の浜松市中島町六本松において霊夢により創建。その後、源頼義、八幡太郎義家などもこの社に祈願。弘治2年(1556)六本松の地より現中島2丁目に遷座。
明治40年村社。
戦後占領軍に没収されていた奥宮と稲荷神社社地が、昭和47年に返還された。
とあり、一時琉球国と同じ運命を辿ったようだ。
大浜橋は昭和12年竣工とある。親柱にはともし火の作り物があるが、石であかりの用をなすわけではない。京城にある中村與資平設計の天道教中央大会堂にも同じようなともし火が取り付けてあるが、その頃の流行だろうか。大日本精神病の時代で、未来を指し示すともし火が求められていたのかもしれない。
by dehoudai
| 2019-01-29 13:50
| 浜松の都市伝説
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