2018年 11月 20日
入出浦 |
入出まで入出煮を買いに行ってきた。世に佃煮というが、日光様江戸へ転府までは入出が御用浦だったので、その頃には入出煮と呼んでいたに相違ない。鷲津から湖沿いに。
女河八幡宮
御祭神品陀和気命 比売大神 息長帯姫命
御由緒社伝によれば、斉明天皇(655年)の鎮座と称れられるも、明治元年(1765)、社殿を焼失、旧記その他を失い、由来を詳にしない。
一説によれば往古、岡崎字宮ノ谷に鎮座せしを、何時の時代にか現在地に遷座したものと伝えられる。
秋の収穫感謝をあらわす特徴ある特殊神事。
巫女ト・十列児・流鏑馬・神楽・種蒔・相撲等、
浜松市内の海沿いの鎮守の森には松林が多いが、こちらは松林ではない。ここは浜松市ではないのだ。
殉国戦士之碑・忠魂碑などあり。日清戦争の戦死者7千人、日露戦争の戦死者2万人という頃には村から戦死者が出ると大きな石碑が立ったが、日中戦争・太平洋戦争の300万人余の戦死者、100万人余の民間人死者を祀る記念碑にはなかなか出会うことが無い。村そのものが破壊されてしまったのだ。 湖西市新所徳泉寺・法泉寺の間にある小山は古墳とも見える。彼方へ進むと岡崎の坂を登って三河に通ずる古代の物流ルートだろう。 日光様浜松在城時の御用浦は田んぼになっている。世界の魚食の頂点が日本橋にあった頃には重金属汚染などというものもなかっただろうが、魚河岸が日本橋から築地へ、築地から豊洲へと移る間に、世界の海もゴミ捨て場になりつつある。地産地消が「地域で生産、地域で消費」だった頃にはゴミは前の川へ流す事で済んでいたものが「地球で生産、地球で消費」となると、ゴミを捨てるところはどこにも無い。
浜松の浴衣が全国制覇をした頃には、馬込川の水の色は浴衣の色に染まっていたが、現在ではだいぶきれいになった。浜名湖の匂いは産業系というより生活系のトリハロメタンの匂いっぽいのが深刻だが、涼しくなるとさほど気にはならない。
by dehoudai
| 2018-11-20 08:09
| はまなこ
|
Comments(0)