2018年 09月 23日
鳥追地蔵 |
秋風につられて鳥追地蔵までおさんぽ
永代橋から以前の電線屋が見える。中国企業の看板が取れている。機械を中国へ運んで、廃業したのかもしれない。日本より中国の方が電線の需要があるのは理解できる。木橋しかなかった時代にできたコンクリートの橋なので永代橋と名付けたのだろう。
この辺り、東海道鉄道ができた頃から急速に工業地帯となった工業都市浜松の揺籃の地だ。
交差点の食い違いを見ると、昔は一間道だったことが解る。
遠州浜松広いようで狭い 横に俥が二丁立たぬ
そして河合楽器北東の大浜街道のクランク。なぜクランクのままかというに、浜松駅南口から大浜橋を直線で結ぶ大幅員道路が着工したものの、100mほど竣工したところで新幹線が以前の東海道線より南を通ることになり、都市計画道路はそのまま放棄されてしまったからだ。駿河銀行南側にその痕跡が現存する。
by dehoudai
| 2018-09-23 18:04
| まちづくり
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