2018年 08月 12日
幕府衰亡論16 |
プラモデルのおじちゃんが総裁選挙で蟷螂の斧を振り上げるというのだが、大方の国民は「ばかばかしい」としか思わんだろう。投票率を下げるには馬鹿なおばさんに大臣をやらせるのが一番良い。
テレビも官邸・総務省の意向を忖度し、殺人ドラマの悪役には国会議員・市会議員位を配して投票率を下げるのに一役買っている。
新聞は出て行け、テレビは残りなさい。
というのは故佐藤栄作さんの教えだ。シンゾー君はアッソーくんのおじいちゃんに習って、
芽の出そうなものは根絶やしにする。
というのをやってきたから党内も安泰だ。
民主主義の根幹は「反対意見の尊重」にあり、これが無くては国体明徴も国権伸張も無い。しかるにシンゾー君は民主主義って多数決ヨ。という頭しかなく、其為には国会の議論でペラペラと、馬鹿な事を喋り続けて投票率を下げ、憲法違反を承知で定数を操作し、国民の2/3の得票率で2/3の議席数に迫る、という奇態を演じている。モリ・カケはキツネ・タヌキでチャラだ。
しかるに福地桜痴先生は森山多吉郎先生門下の外国奉行支配調役格、通詞御用頭取、であり開国派。
大河ドラマの「西郷どん!」は林真理子さんの原作なので、途中を省いて西郷さんが沈思黙考の末「長州と同盟する。」などと言い出しているる。まあ細部に渡って観るならば、長井雅楽だけでも一週を要し、登場人物は数十人が数百人となって、何が何だか分からなくなり、視聴率を下げるだけだ。福地桜痴先生は禁門の変の後の京都のぐちゃぐちゃぶりに我慢ができなかっただろう。次のようにまとめている。
幕府でも重役は開国やむなしに傾いたが、無役のもの、脱藩浮浪が攘夷に傾いたのは、
1
攘夷即ち異國船打拂の議は、幕府が文政年間に議決し、全国武士は皆攘夷に傾きたりしを、のちに幕府が和平の方向に定めた。
2
海防兵備が不備なので、しばらく和議を許すが、準備ができたら攘夷を実行するといいながら、準備はできず、ズルズルと和親貿易の條約を取り結んでしまった。
3
一橋刑部卿を退け、年少の紀州家を立て、ますます攘夷実行の望を絶った。
4
将軍上京の上で許しを得ず、専斷を以て條約に調印し、宿次奉書で傳送に送った。
5
攘夷論の弾圧
数次の在欧で国体明徴も国権伸張も反対意見の尊重にあることを学び、そのためには社会の公器としての新聞が必要であることを痛感したのだろう。
1785創刊の "The Daily Universal Register"が"The Times"と改称したのが1788年1月1日だそうで、福地桜痴先生も読んでいたはずだ。
先生は慶応4年閏4月江戸で「江湖新聞」を創刊、発禁・逮捕され、太政官布告による新聞取締りの契機となった。
五箇条の御誓文に
万機公論に決すべし。
とあるのにも影響しているのだろう。しかし「公論」とは何かについて新政府の要路にも良く解っていなかった様だ。150年を経てシンゾー君を担ぐ人々には
お上に反対する不届き者には広告を出さずに干してしまえ。
と言う輩もおり「万機公論に決すべし。」とは何か、お解りでないのはあまり変わっていないのだ。
本書刊行後80年の1938年3月3日の"The Times"第2ページからはイーデン外相の辞任について「反対意見」が延々と載って居る。
by dehoudai
| 2018-08-12 03:52
| ほん
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