2018年 06月 17日
180616朝食 |
180616朝食 飯、トマト、ちりめんマヨ、ハウスカレー、冷奴に鰹塩辛、汁
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御前崎産機能の刺身に鰹塩辛、ポークソテー、かぼちゃ、発泡酒
180618朝食
昨日の残りと緑茶をとって成田へ出かける
城達也が
遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、
たゆみない 宇宙の営みを告げています。
と言っていた頃にはエコノミークラスでも高度10,000mでバーボンをあおることが出来た。そのために50cc入りのミニチュアびんというものもあった。「もう一杯。」と3回やったら、CAが「クソジジイ。」とキレて、最後には4−5本どさっと置いていかれたこともあった。
その後Star Allianceが出来たりして航空会社の統廃合・連携が進み、テロ事件が相次いで、各国の製造業の高さを競い合ったステンレスのカトラリは安っぽいプラスチックに変わった。ビジネスクラスというものを覗いてみたことがないので、そこではいまだにステンレスのカトラリで飯を食って、スコッチを「もう一杯。」とやっているのかどうかは知らない。ウイスキイが無くなったのは酔っ払いが飛行の安全を脅かす事件が続いたからだろう。
美声で売った城達也さんはスモーカーとして生き、スモーカーとして死んだのだそうだ。いまではフィリピンの街角には灰皿が無い。限りなく御法度品に近づければ、値段は付け放題、というBATなど米国資本の思う通りで、売り上げに貢献しているのだろう。
マニラからセブへは国内線なので「お食事」というのは無い。その代わり
Chicken Sarad w/cheese bunwich
というのをくれた。サンドイッチは手間がかかるので、アンパン式に周りを包んで焼いたものだ。別に腹が減っていなければ食べなくても良いという味なのだが、間食してしまうのは貧乏性だ。
Quest Hotel and Conference Cebuというところに着。Barに布陣して食べ物を荒らそうということになったが、何という事でしょう。夜の10時半では既にビュッフェは店仕舞。アラカルトは作るのに20分とのこと。
Humberegerは8ozくらいの牛肉のタタキが入っていた。彼の地の牛肉は松坂牛はおろか、USDA PrimeBeefにも遠く及ばないもので、細かく叩かないと噛み切れない。日本人からすると「水牛じゃ無いか。」みたいな牛肉だった。
ビュッフェはどこにでもありそうなビジュアル系。塩豚もうまいというものではない。ビジュアルが成り立てば良いのだ。180619昼食 付近はIT Centerっぽいところで、向かいにあったフードコートのSizzler'sというのでステーキを食う。なんてことない味。 180619夕食 ホテルで聞いた近くのフィリピン料理屋へ出かける。
今風のヴィジュアル系だ。
KUYA J
出てくるのが遅い。しかしこれははっきりと「食べる。」というのと「今風のレストランで夕食の時間を過ごす。」というのがはっきり分かれているためだろう。
デンチ切れなので、以下メニューから。
LUMPIA PRITO PHP135CRISPY BANGUS ALA POBRE PHP235
SIGSIG PHP210 PANKIT KANTON PHP165 お味は という感じ。
180620朝食 昨日目をつけて置いた、食堂へ出かける。店先にキッチンがあって、奥に座席があるのが一般的で、屋台の変形だろう。ここにはテーブルがないので聞くと、日本では建築基準法外となる一段30cm、奥行15cmくらいの階段を調理場から上ったところが客席だった。下が賑やかな割に、勤め人は気忙しいので上って来ないらしく、空いている。目の高さに立体交差があり、朝の通勤風景を眺めるのに最適だ。 BOLINKO: Small Fish Fried 魚のかき揚げ 手がベトベトになるので、先にplastic bagをもらって、手掴みで食べるのが本格。 PORK TOCINO 酢豚、濃味、固いのでじじいは食うのに苦労する。 PANCIT SOTANGHOH 炒麺なんだが、中華麺と米粉が混ぜてある。 飯、 日本の飯にそっくりだ。ヴェトナム戦争の頃まで、米国の援助でIRRIというのが多肥・多農薬で収量2倍というコメを開発していた名残だろうか。その頃世界最大のコメ輸出国だったフィリピンは、その後の人口爆発で、今ではコメ輸入国に転落してしまった。
食った食った。〆てPHP85(153円)である。
180620夕食 再びAYALAフードコートでフィリピン料理
あ、今回のヴィジュアルは結構シズル感があって、良いね。
相変わらず出るのが遅い。
客を見て出すタイミングを図れ。
出てくるのが遅いのは私たちの二人のためなのよ。
というお二人もいる。大学の経営学科の同窓会だそうで。二人の世界にはまっているのはクラスメートも十分承知なのだろう。じじいには相当に騒々しい環境なのだが、お二人には何も聞こえないのだろう。私も身に覚えがある。おーっと女の手が男の脇の下に、、、
咥え楊枝みたいな気分で場内を一周。おっと紅衛兵の店もあるぞ。
180621朝食
180622朝食
いかにもホテルのビュッフェ。粥に添えられていた浜納豆のごときもの、ピクルス、茹落花生がせめてもだった。ビジュアル系ということで「食べる」という行為そのものがヴァーチャルリアリティーとなりつつある。
いかにもホテルのビュッフェ。粥に添えられていた浜納豆のごときもの、ピクルス、茹落花生がせめてもだった。ビジュアル系ということで「食べる」という行為そのものがヴァーチャルリアリティーとなりつつある。
180622夕食
RufflesHotelが全面改装中で、裏手の土産物屋も昨晩は閉まっていたのでFortCanningの地下司令部を見学、アジア文明博物館でギメ博物館のアンコール展を見学、大川端のカレー屋でチキンカレー。向こう岸で腕組みをしているRaffles卿がここへ上陸したのは1819(文政2)年、38歳の時だそうな。 夕立が上がって川風が気持ち良い。私的には大川の夕風となるのだが、Raffles卿は
ちょいと船を言って辰巳へ繰り込もうぜ。
ではなく、インドネシアとジャワから蘭佛を駆逐してこの地を大英帝国の東の首都と定めたのである。
和食・華食・印食・伊食・などそれぞれ固まっている。佛食はあるかも知れんが、英食は無いかも知れない。食い物が美味い不味いと言っていたら大英帝国は完成しなかったのだ。観光客向けの味で、入れるとき辛く出る時もう一度辛いというほどでもなかった。
by dehoudai
| 2018-06-17 11:14
| たべもの
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