2018年 06月 14日
幕府衰亡論15 |
テレビでは大島三右衛門が下関を放り出して京都へ上ったので、当時の京都の様子を眺めてみよう。
京都は尊攘黨の本拠
桜痴居士によれば何と言っても井伊大老を桜田門に殺した
尊攘黨の脱藩浪人、處士、百姓、町人、儒者、醫者、神主、坊主の輩に至るまで、皆京都に蝟集し國憲を紊乱し國安を妨害して政府を顚覆せんと謀り、これを言論に行爲に顯はして其猖獗を極めた
井伊大老が過嚴の威權を用ひて其身を失はれたる
に対して、安藤・久世久世の諸閣老はただ彌縫策を重ね、事態はますます悪化する。前年の冬世間に流布した堀織部正の與安藤對州と題した遺書なる偽書には
犯大義者最甚然而有尚甚於此者竊聞彼妄議廢 天子之事閣下依國學人討索舊典私畫其議豈謂之何哉至於此血涙如雨鐵腸欲裂天下之人慟哭憤怨皆欲食閣下之肉實大逆無道天誅固不容也
とあるそうだ。福地桜痴先生は
全く僞造の書たる事余が前章に述べたる如く
と仰せあるが、吾人はさらに一歩踏み込んでみようと考える。人間どうしても自分の物差しで他人を図ろうとするところがあるのではなかろうか。
会津藩はなぜ「朝敵」か
星亮一
ベスト新書 2002
では會津藩から戊辰を概観するが、結局は孝明天皇崩御については毒殺説を退け、痘瘡で納得している。しかし、毒殺の毒に痘瘡が使われた可能性はチェックしていない。尊攘黨というものの、「至尊」と口にはしてもただの「ギョク=将棋の駒」だと考える輩もいただろう。會津の容保とつるんでいては邪魔だ、消してしまえと考えた連中が、幕府も似たようなものだろうと勘ぐって、「廢帝」論を振りかざしていたのではなかろうか。
征夷大将軍の夷とは何か?
続いて桜痴居士は「征夷大将軍」について述べる。
京師にて征夷大将軍とあるに鎖攘を行はざるは如何
實に征夷の二字に對し申し譯これ無く候
という問答は「不思議千万」だと論じている。何故ならば日本には古来、田村麿若くは頼朝の時代にも「外國」というものはなかったのだから、今のアイノ人種を指して蝦夷とも東夷とも呼んだのであって、
太宰府を初めとして九州、山陰諸國は三韓来襲の衝に當れども征夷の職名を用ひられざる所以
征夷の夷の字と攘夷の夷の字とを同意同質のものゝ如くに解釋し、征蝦夷大将軍は即ち攘外夷大将軍なりと附會し
征夷大将軍には初より毫釐の關係も無き外夷攘斥を以て其當職なりと責めたるは怪しむべきの極なりとす。但し是は幕府をして攘夷を實行せしめんが爲に牽強附會したると云へば其理あるに似たれども、幕府が自ら征夷の字に驚きて辨解に苦しみたるに至っては尤も怪しむべき事なりと云ふべし。
さてまた今日に目を転ずれば、内閣総理大臣魯西亜國大統領に会し、手ぶらで帰ってきたのはニュースにしてはならぬ。上野アメ横には外國人群れてサキイカなど贖うに、阿弖流為の末裔たるカールおじさんは蝦夷東夷に憚りありとて、東日本で販売終了しながら西日本では相変わらず売り続けるというのに鑑みて、夷の字は極めて今日的な話題である。
来週の大河ドラマは新選組登場か、島津久光が神奈川宿生麦村を通りかかるあたりだろう。
by dehoudai
| 2018-06-14 08:19
| ほん
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