2018年 03月 25日
可美村 |
可美総合センターで「浜松今昔」というお題の催しがあるというのでのぞいてみました。
「電波少年」というテレビ番組のプロデューサーが浜松出身の人で、昔の写真と今の写真を並べてみる、というアプリを開発したので、浜松でもどうだろう、ということでした。
昔の写真と今の写真を並べてみるというのは、画像処理的には色々と課題がありそうです。アングル合わせでは昔の写真が取られた頃の地図を用意して、3dで建物を作図して視点を探すとかが考えられます。
1959年は1/3,000ですが、1963年からはからは現在のものに近いフォーマットで都市計画図が作られており、図書館の郷土資料室にあります。それ以前の地図で頼れそうなのは
濱松市大地圖 大正7年 浜松市史跡調査顕彰会復刻
です。これも
図書館の郷土資料室にあります。
家族写真でやってみることと、それを町並みに結びつけることにも様々な課題がありそうです、昭和36年の田町ショッピングセンター着工前の写真もありましたが、いまではアーケードが邪魔です。
特別展「浜松城のイメージ」
浜松市博物館 1995
八丁縄手は、仇討や果し合がたびたびあった所。可美村との境に架かる鎧橋は、京都比叡山の法師軍が檀の爭いで鴨江寺へ攻めて来たときに、鴨江寺法師が鎧を具してこの橋まで討って出たと傳わっている
浜松風土記
会田文彬 昭和28年12月 浜松出版社
二つ御堂
12世紀、奥州平泉の藤原秀衛は京都で病に倒れた。このたよりを聞いた愛妾が京都に向かう途中、この地で秀衛の死去(誤報)を聞き、北のお堂(薬師如来)建てた。間もなく、本人もこの地で病にかかり亡くなった。秀衛は病が癒えた後、故郷に帰る途中ここを通りかかり、事情を知ると、愛妾への気持ちをこめ、南のお堂(薬師如来)を建てたそうです。
カナダ唯一の自動車メーカーはCanadian Automotive Manufacturing Industriesと称してMr. Suzukiが代々製造部門のトップをやっていたようです。可美村は無くなっても、名前はカナダに残っておるのです。
180326
つくづく感じたのは建築設計・まちづくりとテレビを流れる時間の違いでした。テレビは瞬間視聴率から逆算して制作されるようなところがあるのではないでしょうか。昭和33年に私が生まれて初めて見た「薩摩飛脚」という連続テレビドラマのヴィデオは、ネットを探しても出てきません。
一昔前までは3世代100年使うものだった住宅も、一世一代の「30年で粗大ゴミ」という住宅になってしまい、産業廃棄物の2/3が建設廃材という、先進工業国では他に類を見ない異様な光景を作り出し、環境を破壊し、文化を破壊しています。
建物が風景になるには50年ぐらいかかるのではないかと思うのですが、そう考えると日本にはヨーロッパのような都市の風景というのが殆どありません。
冒頭の浜松市役所旧館も、いかにも昭和20年代の「やらまいか」の雰囲気を伝えていて好きでした。ヨーロッパには100年以上前の鉄筋コンクリートの建物があちこちで大事にされています。設計耐用年限の60年が来ると大威張りで壊してしまう、というのがいかにも発展途上国みたいで嫌ですね。
元城小学校を壊して屋上に芝生を乗せた「芸術センター」を作ってはいかがかと、安藤忠雄さんがうろちょろしているようですが、利町の「ハマホール」を改修して使うことも考えてみる価値があるのではないでしょうか。閉鎖されるまでの「バンドの練習室」というのが、いかにも浜松らしく、これぞ地域文化という感じでしたが、いつの間にか役所が「有識者」を丸め込んで「有名建築家」に「どこにでもあるような芸術センター」を作らせるのはいかがかと思います。
これまで「バンドの練習室が何をしてきたか」という地域文化を振り返る方が先なんじゃないかと。ついでに音楽教室からJASRACへ上納金をよこせというなら、名古屋市が市民の自費出版に情勢をしているように、音楽教室・コンサートからの年貢の取り立ては市役所が肩代わりをする、という発想もあって良いと思います。
ヴァーチャルリアリティーの世界でも、コンピュータの処理速度は限りなく上がり続けています。ゲームなど「暇つぶし」だったものが「暇つぶしの速さを競う」となっているのがなんだかおかしく見えます。
「クラウド」という言葉にも、個人や企業には寿命があるが、雲は永遠に変化し、存在し続ける、みたいなイメージがあるのでしょう。
「電波少年」のプロデューサーの方も、瞬間視聴率ではなく「消えないもの」「残るもの」に欲求が高まっておいでだったかもしれません。
by dehoudai
| 2018-03-25 15:59
| まちづくり
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