2018年 01月 08日
賞味期限 |
用宗駅前の魚屋に金目鯛の干物があった。干物の賞味期限はどのくらいなのだろう。
しばらく前まで、国道150号沿いで交通量は多かった。バイパスが出来て、交通量が減り今では横断歩道でないところを高齢者が横断している。 電車で通勤する人も減って、通学ぐらいだろう。金目鯛の干物も今は飛ぶように売れる、という風でも無かった。
フランスでも若者は賞味期限内のチーズが好みらしい。「もう少し置くと美味いぞ。」という頃には無くなっているようだ。スコットランドヤード裏のAlbert'sという飲み屋では親父連は汁の垂れるスティルトンを舐めていたが、若者は賞味期限内のものを好むのだろう。
賞味期限というのは生産者の都合ではなく、流通業の都合で出来ているのではなかろうか。「幕末明治のうまいもの番付」など見ると、流通近代化以前の日本人の食べ物が想像できる。
江戸時代の物流は海運が主要なものだっただろう。年貢の江戸開米をベースに、鰹節や塩昆布などが乗っていただろう。これが明治22年に東海道鉄道、明治24年東北本線、明治34年に山陽本線が開通すると、千石船と馬の背が丘蒸気になって食べ物の様相もガラリと変わったのではないだろうか。昭和のはじめに国鉄の冷蔵車が開発されて、本場北海道荒巻鮭が全国制覇を果たした。今でも台北大稲埕あたりに行けば本場北海道荒巻鮭という看板を見ることが出来る。
昭和29年には焼津駅に「魚類専用ホーム」が開業し、日本人のマグロ狂いが始まる。「核兵器で世界征服」と「刺身で世界征服」の衝突事故が怒ったのも昭和29年だ。
やがて築地行きの貨物列車はスーパーの集約型キッチンへ直付け出来る冷凍トラックに変わり、日本人は「幕末明治のうまいもの番付」など忘れてしまった。
賞味期限といったところで伝統的な保存食品の賞味期限とは縁もゆかりもないのだ。今頃になって和食が文化遺産だなどと言うには失われたものが多すぎる。
賞味期限といったところで伝統的な保存食品の賞味期限とは縁もゆかりもないのだ。今頃になって和食が文化遺産だなどと言うには失われたものが多すぎる。30年前にはバケツを下げて150号線大崩れを抜ければ、浜当目に鰹節屋が並んでいて、鰹節に適さないハラモをタダでいくらでも手に入れることができた。
今では鰹節屋の新工場も大井川港周辺に移転し、浙江省船山市の荒節工場で出来た原料が高速道路から運ばれる。沼津の干物というが、沼津港へ伊豆の漁船が最後に入ったのは20世紀のことで、今ではアイスランドのアジなどが冷凍トラックで干物屋へ到着する。
by dehoudai
| 2018-01-08 12:34
| たべもの
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