2017年 10月 20日
インディアスの破壊についての簡潔な報告書 |
簡潔な報告書
ラス・カサス著
染田秀藤訳 岩波文庫 1976
という200ページばかりの文庫本をさらに簡潔にしてみよう。
司教バルトロメオ・デ・ラス・カサスが1552年にスペインの皇太子フェリーペ殿下に捧げた報告書より:
1492年インディアスが発見され、スペイン人キリスト教徒が植民に赴いた。
スペイン人が最初に侵入したのはエスパニョーラ島で、大きな、非常に豊かな島であった。世界のどこを探しても見当たらないほどの大勢のインディオ達が暮らしていた。
無数の人々は純朴で、悪意のない、また陰日向のない人間であった。世界でも最も謙虚で辛抱強く、また温厚で口数の少ない人達で、諍いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか彼らは恨みや憎しみや復讐心すら抱かない。彼らはキリスト教徒に比べて体格が細くて華奢でひ弱く、軽い病気にかかると死んでしまう。
インディオ達は質素で財産を所有しておらず、所有しようとも思っていない。したがって彼らが贅沢になったり、野心や欲望を抱いたりすることは決してない。
スペイン人達はこの従順な羊の群れに出会うとすぐに、まるで飢えのために猛り狂った狼や虎やライオンのようにその中に突き進んでいった。それまで人々が見たことも聞いたこともない、種々様々な残虐極まりない手口を用いて、ひたすらインディオ達を切り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやった。
スペイン人がエスパニョーラ島に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今ではわずか200人ぐらいしか残っていない。
キューバ島にも現在ほとんど人はいない。サンファン島・ジャマイカ島も素晴らしい島であったが、近くの60以上の島を合わせても、かっては50万人以上が住んでいたインディオは今では一人もいない。
大陸でもスペイン人キリスト教徒は同じことを繰り返した。1,200万人以上が殺されたのは確かであり、それどころか私は1,500万人以上が犠牲になったと考えても間違いではないと思う。
インディオ肉屋というのはちょっと誇張かもしれないと思うと、「赤ずきんちゃん」の話は、赤い帽子の小人が来たら、男は狼だと思いなさい、というのは後付けで、18世紀ルイ王朝期まで、貧民の間には家庭内人肉食があったという話が原型だそうだ。日本にも戦争・飢饉に際して人を食った、という話が残るが、インディオ肉屋は店先の目立つところで
赤ん坊は柔らかくて美味いよ。
とやっているが天明の大飢饉のような「非常時」という感じはなく、商売熱心という感じだ。異教徒は人間ではないので、あまり罪の意識はなかったのだろう。
日本は四方を海に囲まれて、魚食を極めてSushi文化を作り出したが、動物を食べ始めると最後はそこへ行くのだろうか。
我が国には仏法の殺生戒あり、綱吉公の生類哀れみの令ありと恵まれている。16世紀といえば戦国時代だが、当時の西ヨーロッパはさぞかし野蛮なところだったのだろう。
そしてその後へアフリカから黒人を家畜として連れて来たのが、カリブ海の植民地の始まりだ。
江戸時代の日本人の暮らしは、どちらかというとスペイン人よりもインディオに近かったのではあるまいか。徳川慶喜公が大阪から江戸へ逃げ帰った時、真っ先にやったのが鰻を食うことだったというから、庶民はそばに天ぷらでも乗っていれば、幸福になれたのではなかろうか。
危ういところで列強の植民地になることを逃れたには長州の力も大きかった。ところが植民地になることを逃れた御一新で、元のインディオの幸せに戻るのではなく、スペイン人になりたくなってしまったのが間違いの始まりだろう。
明治19年南洋のスペイン領を目の当たりにした志賀重重昂は「白皙人の植民地になってはいけない。」と「日本風景論」を著して警鐘を鳴らした。ところが日清日露の両戦役に勝利すると、国家財政など政府の情報公開が充分で無い故、平民はセンソウダイスキになってしまった。列強の仲間入りがしたかったのだが、未だに国連安保理事会の常任理事国になれないのは、いくら金を積んでも日米地位協定が邪魔をしているのだろう。南京攻略の百人斬りはでっち上げだというが、当時の日本人はでっち上げに陶酔していたのだ。
米国の海岸線延長19,924kmに対し、日本の海岸線延長29,751kmだそうで、地政学的に見てもこれほど軍備国防がナンセンスな国はなかろう。相も変わらず武士道の真髄が「葉隠」国粋の真髄が「戦争をしない国」だったことなど忘れ果て、「この国を守り抜く」などという非立憲輩を放っておくうち、戦後が戦前になってしまう。
by dehoudai
| 2017-10-20 13:51
| ほん
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