2017年 08月 11日
熊久保発電所 |
熊久保発電所というのを見てきました。
行き帰りも結構面白かったです。興津川を上り、新東名を潜れば芝川町まですぐです。ここから県道75号線を上って井出館の西に熊久保発電所はあります。
と書くと簡単なのですが、プリントしておいた地図を持ち忘れ、道に迷いつつ到着。
富士宮といっても浅間神社から東はただもう富士山頂に至る一途な斜面です。ところが潤井川から西は富士山から流れ出た溶岩が天子山系にぶち当たってできた複雑なシワがあます。白糸滝に見るように、あちこちから湧き水なんてささやかなものではなく川が噴出しているのです。
そうした川の水を使って富士宮の文明開化は始まったようです。
製糸・製紙というのが富士宮の文明開化ですが、それまでの水車が電動機に変わると、水車を発電所に変えて、ということになります。
大宮町から吉原町の人々が明治40年に富士電気株式会社を設立、潤井川に発電所を作ります。翌年には富士製紙による富士水電株式会社が芝川に進出、それこそ「数々の」発電所を建設しました。熊久保発電所は大正8年竣工の東洋製紙によるもので、富士水電の発電所よりは小型です。
芝川流域には四日市製紙株式会社も発電所を持っていたため、西日本=50Hz、東日本=60Hzの境界線は芝川なのですね。
富士水電株式会社は大正14年に東京電燈株式会社に合併、これが現在の東京電力だそうです。
さて熊久保発電所を外から見学したので、浅間大社へ。 おや、駿州赤心隊の記念碑が。隊員に遠州報国隊同様江戸時代にないがしろにされていた神主が多く、まさかに駿府の浅間神社に記念碑を建てると、喧嘩を売っているようで闇討ちに合うものもいたでしょうから、ここに立っているのでしょう。
by dehoudai
| 2017-08-11 08:54
| まちづくり
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