2017年 04月 30日
外人部隊 |
そよ風に誘われて中心市街地へおさんぽ。
各所で凧揚げの準備をしている人がいる。今では御幣が出たりして「浜松祭り」と称しているが、あれは元来「凧揚げ」なのだ。一本の糸の一端に凧、他端に馬鹿がぶら下がって一日風に吹かれる、という幸せな遊びであって、本来祀りごととはあまり関係ない。
遊ぶ人が主役であって、観光客もどーでもいいのだ。それが隣町の凧と斬り合い、ということになって、酒の上での喧嘩、刃傷沙汰に及び、統監部が統制、ということになったのは、戦中戦後の人心の荒廃した時代だろう。そうなるとイバリンには事欠かない。
先年「飲みに来い。」というわけで、やはり中心市街地の友人方へ出かけたことがあった。ひと廻り酒が入ったところで亭主が
さあ、出かけるぞっ。
と言うと、よろしくやっていた同勢の中から
ガイジンでもイイデスカ?
と言う質問が。ご亭主の答えは
イインダヨ。この辺りはどこの町も大体ガイジンばっかしだ。
と言うので、同勢のアイルランド人諸君はキョトンとしている。アイルランド人諸君はちょいと入ると
ヴェトナム戦争がなんだ。俺達は大英帝国相手に50年も戦争やってたんだぞ。
と鼻の穴が広がるが、その先はタダの酔っ払いだ。
中心市街地では過疎化・高齢化が進み、元気に凧を揚げているのは、近郊に自宅を新築して、他町から祭りをやりにきたものばかりなので、それをガイジンと言ったのだ。
浜松祭り自体も昭和20年代には48ヶ町かそこらだっただろうが、今では中心市街地の町よりも郊外の、戦前で言えば浜名郡に属した町の方が元気が良さそうだ。
いっそのことこの辺りで、浜松祭り自体をガイジンでも良い、ということにしてしまうのもよかろう。国籍は問わず、浜松市民であれば参加できる、と言うことにしてしまうのだ。
浜松の地場産業の特色は、国籍を問わないということでもありそうだ。戦前の繊維に始まって、輸送機械・工作機械からITに至るまで、別に日本市場を相手にしているわけではない、と言う企業が多い。
そうした企業の従業員には世界各地から集まってきた若者がいるはずだ。派遣会社の工員さんだけでなく、幹部研修の研修生もいるだろうし、中には浜松に住み着いて、同国人のお世話をしている人も居ろう。
そうした人々を束ねて外人部隊の凧揚げ会を作ったらいかがだろうか。最初は合戦に参加することもなかろうから、エキジビションで韓国の凧・台湾の凧・中国の凧・ブラジルの凧とやっておれば良いのだ。各町内の凧揚げ会に準じた支援策を講ずれば、インドネシアの凧・インドの凧・ヴェトナムの凧・スリランカの凧・ハンガリーの凧と、地元企業が展開する国々の凧揚げが浜松で実現し、浜松が世界の凧の都になるのではなかろうか。
湖西市ならさしずめ「手筒花火の国際化」となろうが「筒が爆ぜて死ねば男冥利に尽きる。」という命知らずが国籍を超えてどれだけ集まるかだ。
ゾーリはサイゴンのベンタン市場脇サンダル横丁で買ったもの。今ではホーチミンサンダルは博物館に行かないと無いそうだ。
外人部隊というと久我山明の「カスバの女」が家尊の鼻歌の十八番であった。
昔からイバリンが現れるのは戦争の折、というのが通り相場だ。ジョンウン君は三代目であり、国指定重要民俗文化財なのでイバリンをやらざるを得ないが、本人は嫌でしょうがないのに、オニイチャンが逃げちまったので、仕方なくやっているのかもしれない。アベ君だのトランプ君だの言う連中は、頼まれもせんのにイバリンが好きなのだろう。「戦争は儲かる」と言うのはイバリンを煽る「国策」企業つまり「国策など、我が社の一存でどうにでもなる」と言う企業であって、平民は塗炭の苦しみに晒されるだけだ。
by dehoudai
| 2017-04-30 14:18
| きせつ
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