2017年 04月 30日
もち鰹なんか無いんであるっ |
御前崎港には三重県第13金一丸他かつお船3隻入港てんだが、もち鰹では無い。原因は「遠州灘沖冷水塊」であるっ。
気象庁によれば
伊豆諸島近海、屋久島西方から種子島近海にかけての海域では、下層の冷水の影響で、海面水温が平年よりかなり低い状態が続いています(図中D)。
というわけで、ここ数年と同じ状況だ。
確か舞阪町史か何かに、文化文政期であろうかそれまで上りは新居宿、下りは舞阪宿と定められていた、参勤交代の折の渡船のお世話を舞阪宿が返上した、という記事があったと記憶する。
前浜に鰹が押し寄せて入食いだったのではあるまいか。景行天皇53年(5世紀)下総国へお出になった天皇を、安房国でお待ちになる八坂姫に、磐鹿六獦命が鰹を献上した時と同じだろう。
返上はすんなりゆき、参勤交代渡船御世話は新居宿は引き受けることとなった。ところが数年後、ぱったりと漁が途絶える。この時の事情も、下層の冷水の影響で、海面水温が平年よりかなり低い状態となったのかもしれぬ。
それまで漁が無いときには参勤交代渡船御世話で成り立っていた舞阪宿なので、これは死活問題だ。再び往昔の如く参勤交代渡船御世話を願い出ると、
その方達のたっての願いで、曲げて改めたのであるから、今更元へは戻せぬ。
と門前払い。それより年毎に参勤交代渡船御世話を願い出るのだが、やっと実現したのは幕末に至り、幕府そのものがおかしくなった頃で、訴訟に150年以上掛かったという筋書きだったと思う。ナニ新居は「関所と生きる町」なので、幕府要路の取り扱いに慣れており、関東から関西を眺めると、向こうでは
御奉行様、漁師の話など聴かんでも宜しゅう御座います。
とやっていたのではなかろうかとも見える。
最近遠州灘沖冷水塊がおとなしくなったのは、かれこれ10年ほど前だ。その頃には浜松祭りに合わせて、紀州からも一本釣りの船がもち鰹をやりに来ていたが、近頃とんと見かけない。
後は遊漁船をやりながら、浜松まつりのもち鰹に賭けている船だろうが、千歳あたりの高級料亭でお馴染みさんが待っているだろうから、平民の口には入りそうも無い。
鰹は氷で固めるともち鰹にはならないので、前日獲れ、前々日獲れではダメなんである。かくなる上はキリバスとかモルディブとか、水没寸前の国へ行かなければ、食べられないのかもしれない。
by dehoudai
| 2017-04-30 07:49
| たべもの
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