2017年 04月 09日
遠山谷の民俗 |
遠山谷の民俗
編輯兼発行人
長野県下伊那郡
上村民俗誌刊行会 昭和52年刊
長野県民俗の会
仁科政視・楯英雄 昭和48年~調査
現在の飯田市南信濃上村で刊行された「村の百科事典」とでもいうべきものでしょう。
それまで自給自足だった暮らしが急速に変わろうとする時代、自給自足とはつまり「自らに由る」ものであったのが「他らに由る」ということになっていくのに対する危機感が伺えます。
ちょうどこの頃「消費者時給農場たまごの会」という集まりで大工ごっこをやっていました。それまで「生産者=消費者=生活者」だったものが「生産者≠消費者」ということになると「≠生活者」になってしまうのではないだろうかという疑問が、我々より一回り上の人々から発せられていました。
本書もそれまでの「生産者・消費者・生活者」を記録しておかないと、消えてしまう、という思いから成ったものだと思います。
第1章 遠山谷の概観
第2章 すまい
第3章 きもの
第4章 たべもの
第5章 生産および生業
第6章 山の仕事
第7章 遠山谷の狩猟
第8章 人と物のゆきかい
第9章 社会生活
第10章 信仰
第11章 民俗知識
第12章 人の一生
第13章 年中行事
第14章 村の伝説
第15章 方言
第16章 上村の霜月祭・かけ踊り
第17章 上村の民謡現在では「観光資源」として活用されている霜月祭ですが、明治初年の神仏分離以前には、吉田流の両部神道に基づくものであり、これが禁止されて秋葉街道も寂れた、という姿が見えてきます。
神仏分離が激しくなったのは日清戦争の頃で、その頃の王子製紙による木材資源の略奪の様子は、台湾など植民地に似たところもあるようです。
口絵になかなか良い写真があります。霜月祭の鬼を見る、3人の青年は祭りに帰郷した学生か、開通した赤石林道を使って飯田へ通勤するマイカー族・バイク族の第一世代でしょう。左の人々の視線は鬼よりもむしろ彼らに注がれています。
トンネルの開通で飯田駅まで60分ほどになってしまった今では、バイパス沿いのショッピングセンターで買い物をして帰る、というわけで、暮らしも「飯田」と変わらなくなっているかもしれず、「民俗」の主要な舞台はテレビとネットかもしれません。
by dehoudai
| 2017-04-09 05:23
| まちづくり
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