2017年 03月 05日
ねじまき鳥クロニクル |
村上春樹に「ねじまき鳥クロニクル」という長編があるそうだ。それを読んだわけではなく、その中の「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」というエピソードを
満州での昭和20年8月15日は、内地とは湿度なども違っていたのではないだろうか。「黝いーあおぐろい」という字があることを知ったのは、
満州の光と陰
コレクション戦争X文学集英社 2012年 所収
で読んだのだ。
満州での昭和20年8月15日は、内地とは湿度なども違っていたのではないだろうか。「黝いーあおぐろい」という字があることを知ったのは、
不逞鮮人
中西伊之助
「改造」1922年9月号
<外地>の日本文学選
黒川創編
新宿書房 1996
なのだが、そこには大正ロマンの想像力だけでなく、内地の8月と朝鮮西北部の8月との、湿度の違いも込められているような印象を受けた。他にもこの字を使った例があったように思えるが、見たことのない満州の夏空には、黝いという字が似合っているように思い込んでいる。
さて「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」を読んでみても、まず頭に浮かんだのは黝い空だった。そして連想されたのは黝い満州の夏空ではなく、息の白くなる冬の満州の空気だ。場所は新たに建設された東洋一という新京特別市動物園ではなく、大同公園のスケートリンク、彼女はまだ新設の東光小学校ではなく、順天小学校に通っている。
久しぶりに大同公園で滑れる、ルンルン気分で食堂の横を通り過ぎようとした彼女の目の端に入ったのは、食堂の裏側の人目につきにくいところに置かれた布団包みのようなものだった。見たものが何だったか思い起こすと、ちょうど布団に包んだ赤ん坊の大きさだった。そういえば布団の中から、赤ん坊の着物の端のような色が蘇った。途端にルンルン気分は吹き飛んで、せっかく大同公園まで来たのに、その日は台無しになってしまった。
日頃通学路の道端に綿入れを着た山東省のクーリーが動かないまま寝ていることもあった。次の日には消えているのだが、自分の足で歩いて姿を消したわけではないらしかった。大人のクーリーなら、いろいろなこともあるだろうと思ったが、子どもとなると話は違う。それが今でも目に焼き付いているのだそうだ。心のどこかに「明日は我が身」という思いもあったかもしれない。
1973年12月12日、私は韓国鉄道公社慶全線徳山駅駅長の話を聞いている。
昔学校でこんな天気は「日本晴」と教わったが、日本と違ってここいらでは冬はだいたいこんな青空だ。
191116
昭和16年古山家は「東洋一」の神橋動物園の隣に住んでいた。錦ケ丘女学校1年生は昭ある日、動物園に猛獣が来るということで「歓迎」に出かけたそうだ。ライオン・虎・熊だっただろうか。やって来たトラックを見ると「猛獣」は皆ぐったりしていて、中には毛がすり切れたのもおり、長旅で苦労した事がうかがわれた。さて「猛獣」を檻に入れるのはどうするのか、怖々見ていたら、大きな網を上から掛けてグルグル巻きにし、引き摺り下ろしたのだそうだ。呆気なかったというか、あまり猛獣らしくなかったというか、ちょっとがっかりしたようだ。
by dehoudai
| 2017-03-05 20:18
| ほん
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