2017年 01月 18日
誕生の頃 |
三男の長子が退院してきた。誕生日は1月12日だ。
父母は一挙手一投足に感動し続けて、いささかお疲れの様子。 これは1983年、父君が1歳の頃。私は長髪、克子さんは繁殖期のまっ盛りという感じで、今の姿からは想像がつかない。
父母は一挙手一投足に感動し続けて、いささかお疲れの様子。
僕の髪が肩まで伸びて
君と同じになったら 結婚しよう
という流行歌があったが、
髪は女の命なんてマツピラ
という克子さんよりは私の髪の方が長かった。今では少し長くなると
目に余る。
と言って克子さんが切ってくれるので、ありがたい。
夏になると遠州浜へ出かけていた。これは今でも変わらないが、、電源開発のおかげで浜は限りもなく痩せてゆく。今では誰もついてこないので一人だ。 建設の時代で建築設計の仕事はいくらでもあった。
その頃の舞阪町西町から弁天島を見たところ。小型の和船にはエンジンがなく、すべて手漕ぎだったが、この頃からエンジンを載せるのが始まった。父はホンダの汎用小型エンジンを入手して、知り合いの船頭の船に乗せて「チャカ」にした。
私の生まれた頃の父(中央向かって右)の写真。 父の生まれた1904年2月9日は日露戦争旅順口攻撃の翌日で、大勝利の提灯行列があったそうだ。宣戦布告はその次の2月10日だそうで、奇襲攻撃は戦争の常であるから、真珠湾攻撃が卑怯だと言われるのは筋違いだ。戦争そのものが卑怯なのである。
右端が母、父の向かって左は二姉、その左右が祖父母、左端長姉、その右が義兄なのだが、満州国で活躍した頃とは人相が変わってしまっている。
父は浜松オートの終生ボックスホルダーだったのだが、これは創立の頃にオートバイ部品の組合の手伝いをしていたからだ。
君の生まれた頃には米国でトランプ大統領というのが出て、、、
という話が30年後にはどう語り継がれるのだろう。
by dehoudai
| 2017-01-18 10:01
| きせつ
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