2016年 12月 12日
昭和の名将と愚将 |
保坂正康
文春新書 2008
将軍というのを、こうやって一歩下がって日本人の組織論として眺めてみると、なかなか面白い。
米国は東京裁判で「悪者をやっつけ」たのだが、日本という国には「責任」という言葉があって、いざとなれば腹を切ってあの世へ逃亡、という便利な仕組みがあるのだ。
第二次大戦の話として読むのでなく、原発事故がなぜ起こったか、なおも原発を捨てずに滅びの道をたどるのか、東京五輪がどうなるかなど、直近の話を読み解くのににちょうど良いのだ。アベシンゾー君が何をしているのかも良く解る。
「名将の下に弱卒なし」というのも端から間違いで、いくら名将でも兵隊が「オラシランモンネ」ではなんともし難かっただろう。
しかして太平洋戦争の米軍の死者20万余、日中戦争以来の日本軍の死者を、民間人と合わせると500万余、アジア人の死者2,000万余と言っても、責任を取るものはいない。東京裁判で「悪者をやっつけ」たところで、米国民が溜飲を下げただけだ。日本型の組織というものに、いささかの進歩もないのだから、犬死である。
航空機による特攻の話にも触れているが「隊長が死ねと言ったら自分の頭で考えずに、言われた通りに死になさい。」ということで、戦術的戦略的に無意味な自爆攻撃を毎日続けていたのは、日中戦争以来の歩兵部隊だ。
日本軍の損耗率が高いのは軍中枢がヘイタイサンを一番安上がりな兵器と考えていたからだ。現代の若者にやる気がない、とおっしゃる団塊の世代はその辺りに気づいていない頭の悪い人達だ。
by dehoudai
| 2016-12-12 09:45
| ほん
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