2016年 07月 03日
モロード様 |
大学同級のM君が遊びに来た。3年前にご夫君を送り猫息子と二人暮らしだそうだ。
浜松城を見て拙宅へ。街中にはマスゾエ・モトツマのポスターがべたべた貼ってあるのがみっともない。
浜松城を見て拙宅へ。街中にはマスゾエ・モトツマのポスターがべたべた貼ってあるのがみっともない。
先年より身内その他、沢山死んだそうだ。還暦前後で人間を卒業するものは多い。E君が発見されたのが10年1月、先見の明のある加藤和彦君に背中を押されたかもしれない、というのが私見。
内田雄造さんが亡くなったのが11年1月。虚血性心筋梗塞というが、日本の都市計画の、暗い未来から来るストレスが原因だろう。その頃からどうも私の周りにも一つの「節」があるようだ。「震災前」「震災後」というのも、この国の「節」の一種だ。
城なんてのは大方が後世の作り物だからというわけで、大河ドラマで張り切る引佐町へ。龍潭寺と井伊谷宮を見物後、モロード様へ。
4世紀の祭祀遺物が出ているというから、古墳時代の話だ。中川村には条里制の遺構もある。モロード様というから客人神かもしれない。あるいは遠州一円に水田稲作技術をもたらした人々のパワースポットかもしれない。
出がけに見ると多年「危険」ということで町内の悩みの一つだった、御嶽教の記念碑群が取り壊されていた。こちらは先年の御嶽山噴火で、世話をしていた御老体が御神託を得たのかもしれない。 もともとは元城小学校の敷地にあったものだそうだが、その元城小学校も作左山の中学と統合されるそうだ。
今日は昭和20年代のように、ものが無いために人が死ぬ時代では無く、ゴミが人を殺す時代だ。相変わらずゴミを買う人でデパートは賑わっているが、ものを買えば幸せになるだの、長生きをすれば幸せになるかもしれぬと不老長寿の薬を求める人も、昭和20年代よりは少なかろうと思う。しかし
そういう時代だからこそ、飢えた人が多いのです。
というのが和尚さんの言葉。
by dehoudai
| 2016-07-03 08:15
| まちづくり
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