2015年 09月 07日
国境 |
ブダペストからミュンヘンまで、日本で言えば東京から広島ぐらいなので、歩くのも絶対不可能、という距離ではないだろう。
与那国島から択捉島まで、こうしてみると日本は、土地が狭い割には、その広がりはEUよりも長い。ロシア、韓国・北朝鮮、中国にしてみれば「目障りの極み」だろう。
中国は日清戦争120年を迎え、産業近代化とともに
日清戦争恨み、晴らさで措くものかものか。
となってしまうのも、国民的共感を得易かろう。産業近代化を進めた割には、社会構造の近代化が進んでいないのが可哀想だ。ロシアも
資本主義をアウフヘーベンしちゃって共産主義
とかいうお題目が剥がれると、中身は農奴制経済からあまり変わっていないので、
土地さえあれば、奴隷はどこかから連れて来ればば良い。
と、領土に執着が強いのだろう。
鳩山一郎さんの頃は
平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を日本へ引き渡す。
だったものが、
2015年9月3日
ロシアのモルグロフ外務次官は
クリール諸島に対するロシアの主権には疑いの余地がない。
となってしまった。そういうタフな人々に米国のポチというだけのアベクンでは、少し心もとない。現場の軍人は海岸線を守る訓練に励んでいても、他国に尻尾を振って自衛隊を他衛隊にしてしまえ、という政治家がおっては、張り合いがなかろう。
EUに流れ込む難民は「第二次大戦以来」という見出しが新聞にあったが、国境を越えて、他国に大勢の人が流れ込むのは、第一次大戦でもあったようだ。当時「世界最終戦争」と呼ばれ、「この世の終わり」という悲観と、「これで国境も戦争も無い世界が始まる」という楽観が交差していた時代だ。
第二次大戦の折に戦意高揚映画として作られた「カサブランカ」は、この折の出来事を下敷きにしているのだろう。戦地から避難した人々の一部はポルトガルから「戦争の無い国」ブラジルへ渡ろうとしたようだ。
浜松市内の「ロシアンバー」と称する店の、カウンターで話を聞くと、お兄さんは生まれも育ちもブラジルなのだが、母親はナポリの生まれ、父親は東欧の生まれで、第一次戦火を避けて渡ったブラジルで、知り合ったと言っていた。
英国ではインターネットに載った、子供の屍体の写真で巻き起された輿論に押されてか、今後5年間に、難民の子供2万人を入国させる、と言ったものの、ただし18歳になったら国外退去、と付け加えたので、総すかんを食らっている。まあ英国自体が大英帝国の負の遺産を抱えて「このままではインド人の国になってしまう。」という焦りが大きいのだろう。
カナダでお医者さんになった「ナパーム少女」も声を上げている。
小生の弟子にも日伯・日比の二重国籍者が居るが、20歳でいずれかの国籍を選択しなければならない。日伯子弟には
君のポルトガル語は「お母ちゃん腹減ったおやつ。」程度であろうから、建築の専門誌を定期購読して、君のポルトガル語に磨きをかけておけば、役に立つかもしれ無い。
くらいが助言だったが、ちょいとフィリピンの国情を見るに、日比子弟には
日本国籍をとって日本の建築士になったほうが良いかもしれない。
である。比国は人口が1億人を超えたのに、国内産業といっても造り酒屋くらいで、未だに主要輸出品は出稼ぎというのは、西米日の植民地の負の遺産だ。
インフラ輸出と称して日本政府が巻き上げた税金の、国内韓流に励む企業はあっても、社会構造の近代化は借款では出来ないのだ。
日本の建築士が比国で出来ることと言ったら、インフラ輸出と称して、経済的植民地をしゃぶる手伝いくらいしか、出来ないのも情けないことではある。
by dehoudai
| 2015-09-07 14:22
| にゅーす
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