2015年 09月 05日
釜屋建 |
なにせ浜松銀行の頭取、平野又十郎の子孫が家屋敷を持て余して、浜松市へ寄託されたものの、バブル期のように予算があるわけでなし、浜松市でも持て余しているようだ。
全国の年貢を一旦江戸へ集め、霞が関のお奉行様の目に止まったものだけに予算を付ける、ということであれば、全国の文化財は滅びていかざるを得ず、日本文化は滅びる運命にある。それと同時に、庄屋様の家を支えてきた地域の暮らしが、TPPで滅びてしまえば、モノだけ残っても屍骸のようなものだ。
まだ二俣街道のバイパスが、開通するよりはるか昔に建てられたであろう、当時の「庭付き一戸建て」だ。すでに
将来西側を国道が通る。
という話があったにしても、するとどうなるか、という疑問に納得のいく説明はあったのかどうか疑問だ。
バージニア・リー・バートンは、郊外のリンゴの実る丘の上に建てられた「ちいさなおうち」が、周りの都市化とともに市街地の中に取り残されてゆく様子を絵本にしたが、こちらの「ちいさなおうち」にはどんな運命が待ち受けているのだろう。
静岡銀行の骨格を作った人、みたいなエリートの家屋敷を保存するのさえ、大変だというのだから、頭数から行けば圧倒的大多数の日本人が、どのような家に住んでいたかは、記憶から消えてゆく。
by dehoudai
| 2015-09-05 17:46
| まちづくり
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