2015年 05月 24日
柳橋新誌二編題詞 |
菊池三溪の題詞は、この通り隷書か何かの立派なものであり、此の儘額装して鑑賞すればよかろう、と言う代物だ。それを漢字仮名交じり文にしてしまうのはもったいない気もする。
それに対し大島尭田の序は送り仮名、返点満載だ。<ruby>だけでは処理しきれまい。そして本文は「振り仮名という創作」がこれに加わる。青空文庫が「規格」を作るには、相当な時間がかかるだろう。元々はそれほど長くない本文でも、何百年かたつと色々な注釈がついて膨れ上がるのは、四書五経を見ればわかる。
とにかくウェブページにはコピペという文化史的意味合いがあるので、とりあえずチャランポランに始めてみよう。
成島柳北の振り仮名も、植木枝盛の振り仮名も、幕末明治の日本人の言語環境が解って面白い。日本放送協会も幕末明治者をやるときには、各地の言葉をそのままにして、字幕でやるのが良いのではないだろうか。東京文化(江戸文化ではないヨ)の押し付け、と言う文化破壊はいかがなものか。
by dehoudai
| 2015-05-24 12:30
| ほん
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