2015年 05月 03日
浜松祭 |
県民一人当たりの交通事故が云々
とやりたがる者もおる。他県車の通過交通が多いのであるから、先刻承知の平民には関係ないのが解らんのだね。 校長先生の訓示を、我慢して聞いている気分を思い出す者も多かろう。 警察官に出くわさないよう気をつけて準備運動をする者もおる。 神田祭と三社祭が今も平民の鬱憤ばらしで、人を集めているのと対照的に、山王祭は将軍に呼ばれて「天下祭り」などと称したばっかりに、流鏑馬などでしょぼしょぼとお茶を濁しているのも同じ流れだ。あれは首相官邸裏、という場所も悪い。
巨像の作り物と琉球行列など「町人に金を出せば祭りぐらい、」という上から目線だろうが、これでは祭りにはならない。
正確に言えば「浜松祭り」は元来「祭り」でさえ無い。節句なので凧を揚げているだけだ。
絵入東海新聞(静岡で発行されていた。) 明治20年5月6日号によれば
●端午の節句
遠州濱松地方は未だ舊習去らずして、五月五日は節句なりとて、例の紙鳶あげ騒ぎにて同日より六日まで市中近在の別なく処々に酒宴を開き、職工輩に至っては丸で休業とせり。何にしろ此舊弊は早く一洗志たき物であり升。
なのだ。三代経てば江戸っ子というが、明治20年であれば、まだ戊辰戦争で在所を頼りに江戸から流れてきた「中身は江戸っ子」という手合いが、遠州浜松の素町人にも多かっただろう。新撰組の生き残り、という物騒な手合いも居る。
台湾には「分類械闘」なるものがあるそうだが、これなども「練り」の本格的なものではなかろうか。戊辰戦争にもそうした側面があるよう思えてならない。梁田戦争
2011年には市長が「東北大震災につきまつりは中止」と宣して物笑いになったが、当然のことながら、
ダンナ、まつりの中止は存知ておりますが、これはまつりじゃござんせん、タダ凧を揚げてるだけなんで。
というご連中もおり、観光客がいない分、ある意味本来の雰囲気が味わえた。
by dehoudai
| 2015-05-03 19:04
| きせつ
|
Comments(0)