2015年 05月 03日
鳳来寺 |
さて困ったことには地図が無い。鳳来寺山自然科学博物館が作った地図も、観光協会が作った地図も、周辺地形は周知のこととして、地元の誇る天然資源・観光資源について述べるので、全体が掴め無い。 窮余の策でGooglemapをつなぎ合わせてみると、おぼろげながら辺りの様子が掴める。奈良時代は知らず、江戸時代の表参道は左下角谷村の谷をたどり、正面の山裾を谷の東側から登るものだった。
兎に角「徳川家家譜」に、岡崎城主松平廣忠公の
大御方様、三州鳳来寺峰之薬師へ男子出生の御念願有りて、通夜なされける夜の霊夢に、十二神将の内眞達羅大将を御袖に入れさせ給うと御覧あり、その月より御懐妊有りて御誕生の御男子家康公也。
江戸時代にはやりすぎた祟りだろう。御一新とともに寺社嶺没収・火災などが相次いだ。峰への風当たりは相当なものだったようだ。 それが昭和46年には東の尾根の裏側をたどるパークウェイが完成し、鳳来寺・東照宮への手軽な参詣が可能になった。
神仏に参ることこそ本意なれと思いて、山までは見ず。
というのが以降の鳳来寺参詣の姿になってしまい、抑も山とは何か、を問うものはなくなってしまったのだ。 江戸時代には表参道の1,425段の石段を辿って、薬師如来のご利益に与かり、鏡岩に鏡を奉納するのが広く行われた形だろう。しかしこれではなかなか鳳来寺の全体像をつかむのは難しい。
そうでなくてもこの辺りは中央構造線にあたり、1,700万年前の海の石を、1,500万年前の火山の石が地を割いて作った、様々な奇観が点在する。 岩ばかりか植物さえ岩の如き姿をしているものもある。 鏡岩の下には平安時代からの納経・納鏡・納骨の遺物が多く出土しているそうだ。
修利仙人よりもさらに古くから、千万年前の峰の松風の音に想いを寄せる人は数多くいただろう。「峰の薬師」よりも「峰」の方が古い。旧約聖書よりも「峰」の方が古いのである。
現代日本ではテレビが神仏の代わりに民を覆い、峰の松風に耳を傾けることなく、頂上駐車場から走り去ってしまうが、パークウェーも朽ち果て、テレビが無くなっても峰の松風は変わらず吹いていることだろう。 それでも鏡奉納の願いは現在でも聞き届けられようから、希望者は堂守に申し出るが良かろう。
by dehoudai
| 2015-05-03 14:45
| まちづくり
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