2015年 01月 29日
澤村田之助 |
というのが本書冒頭だ。現代仮名遣いではない。挿絵は井川洗厓・柳生鹽億・古屋苔軒とあり、落款の印影もあるのだが、達筆すぎて私には読めない。
矢田挿雲
報知新聞 大正12-13年
大衆文学全集第十巻
矢田挿雲集
平凡社 昭和3年
先日能登まで行って、ふと本書を思い出した。矢田挿雲が金沢の出身ということで納得。 春が来て旅の僧が立ち去った後、山の娘がお目出度、というのも想像に難くない。 今でこそ高速道路があるが、越中と越後の国境というのは、その昔は冬の間閉ざされた国境だったのだろう。 利根川をさかのぼって千曲川から越後へ、或いは塩尻を超えて木曽川へ、というのが昔からの物流ルートだ。明治人の地理認識には、鉄道以前の河川舟運のイメージが色濃いのではないだろうか。
千代吉が思い悩んでいるのは、いつぞや上野の花見で見かけた若衆の落とした千鳥の袱紗だ。 川開きの屋形船で、今をときめく紀伊国屋さんに出会うと、小靜姉さんの想いを寄せるその人は、いつか上野の花見で見かけた若衆だった。
というわけで、本書は歌舞伎もののベストセラーなのだが、明治人の地理認識、という観点から見ても結構面白い。利根川の船頭、というのもなかなか奥が深いのだ。戊辰の役の折、寒松院は宇都宮で官軍に捕まってしまったりする。東海道は箱根ぐらいのものだが、中山道には峠がいくつもある。越中越後の國境など、そのまた雲の遥か彼方だ。
志賀重昂の日本風景論なども、明治人の地理認識として面白いのだろうが、私など詳しく読み込むだけの根気がない。役者と芸者の色模様の彼方に、明治人の空間認識が浮かび上がる本書など、面白く読める。
尾崎紅葉の「煙霞療養」や饗庭篁村の「木曾道中記」といった明治の紀行文学も、当時の「旅」そのものの面白さとともに、明治人の地理認識が浮かび上がる。長谷川時雨の「雲」も直参旗本の娘の心象に、釜石の水害の光景が重ねあわせられている。
澤村田之助
by dehoudai
| 2015-01-29 23:16
| ほん
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