2015年 01月 19日
日影 |
そしてこの法律がコロコロとよく変わる。建築基準法の採光基準など、40年前から見るとまるで「無法」だ。昔誰かが「東京には空が無い。」と嘆いた都市密度を、全国一律に押し付けるからこうなる。東京には悲惨な居住環境と高い所得を引き替えよう、という人々が集まるのだから、それで良いかもしれないが、それを地方に押しつけるなら、所得格差を解消してからにしてほしい。
テレビでは神戸市長田区の、復興商業施設がガラ空きだ、という話を流していた。あとで考えれば、地元住民の福祉のためというより、大手建設会社のエサであった、というような感想を持つ関係者もいるようだ。
浜松では同じことを戦災復興の時にやっている。戦災復興都市計画の道路建設に関わる土地取得で、後ろめたい話がある、ということで事態は紛糾、衆議院建設委員会での質問にまで発展した、というもの。もっとのこの時の敵役は近所のペンキ屋さんであった。
もう一つは道路幅。7.2mの道路を32mに拡幅しようというのが、地域住民には理解できなかったのだ。現在その道路が朝晩渋滞するのを見て、当時の反対者にも隔世の感があろう。しかしこれが住民が納得した上で実現したならば、もっと浜松という都市への信頼感は増しただろう。
もともと法律は地域住民、あるいは国民が「なるほど。」と納得するための道具ではなかったか?32m道路にしても、納得した上で作られるのと、反対派を圧殺した上で作るのとでは法律自体の存在価値が違う。そのようにして成田空港を利用するたびに、上総大地の開拓の歴史に思いをはせる。
全国の空き家が3割を超えた、という話もあった。静岡県の賃貸住宅の空き家が5割、という話もあった。テレビではそれを高齢化に振ることで、何となく「なるほど。」を演出していたが、毎朝高層ホテルの日影を眺めていると、高齢化もさることながら「都市密度」について理解を深めようという動きがさっぱりなのが気にかかる。
浜松市中心部は三方原台地の縁辺に当たり、我々の子供時代には「山河」に囲まれていた。それが今では一面の住宅地となって「どこが山やら、どこが川やら。」さっぱり分からない。ただただ坂道で苦労するたびに「昔はもっと楽に坂を上がれた。」と肉体の衰えとごっちゃにしてしまうのだ。
by dehoudai
| 2015-01-19 08:54
| きせつ
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