2014年 09月 18日
自決 |
改めてウォルター・ブライス兵卒の最後の手紙を読み返してみよう。
“And Rilla, last night I saw him again. I was doing sentry-go and I saw him marching across No-man's-land from our trenches to the German trenches—the same tall shadowy form, piping weirdly—and behind him followed boys in khaki. Rilla, I tell you I saw him—it was no fancy—no illusion. I heard his music, and then—he was gone. But I had seen him—and I knew what it meant—I knew that I was among those who followed him.”
Lilla of Ingleside
L.M.Montgomery 1921
28年後、村岡花子さんはこれを次の様な日本語にしている。
ところがリラ、昨夜また笛吹きを見たのだよ。僕が歩哨勤務をしていると、笛吹きがわれわれの塹壕から無人地帯を横切り、ドイチ軍陣地の方へと進んで行くのを見た---相変わらず背の高い影の様な姿で、気味悪く笛を吹いていた—その後にはカーキ色の軍服をきた兵士たちがついて行くのだよ。リラ、僕は本当に笛吹きを見たのだ。---空想ではない—幻影でもない。笛の音を確かに聞いたもの。すると---笛吹きは消えてしまった。しかし、僕は笛吹きを見たのだ—それがなにを意味するか僕には分かっていた---僕も笛吹きに従って行ったものの中に入っているのだ。
アンの娘リラ
村岡花子訳 1959
更に54年後、ルース・オゼキは西谷春樹海軍大尉の「秘密の日記」で、次の様に描いている。
殆どの戦死は「殺すか殺されるか」という、偶然の上に成り立つ出たとこ勝負、半分は「他決」なのだが、特攻隊だけは「確実な戦死」つまり純粋な「自決」だ。
A Tale of Time Being
Ruth Ozeki
Viking/Amazon Digital 2013
こうした観点からすれば、ウォルター・ブライスは特攻隊ではないのだが「自決」だろう。宇垣纏海軍中将は1945年5月15日午後4時、「抗命」であるところの出撃をするのだが、これも「自決」だろう。
特攻のみが「自決」とされるのは、為政者の責任逃れであって実は「他決」であり、逆に「タダの戦死」と数えられている中に結構「自決」が多いのではなかろうか。
テレビ小説では花子がラジオに出演するのを逡巡していた。再び「自決」出来ない人を「他決」の道に追い込む手伝いをしたくなかったのだろう。
唐突に思い出したのは「赤尾敏」だった。数寄屋橋交差点の、交番の前に街宣車を据えて、汚いビラを貼り、演説する現物を何度か見たことがある。
浅沼稲次郎暗殺事件の折に「坊やがよくやったもんだ、偉いもんだ。」と言ったと伝えられているそうで、「自決」の対極にある、考えの至らない子供を煽って「集団ヒステリー」を操ろうという人だろう。最近でいえば小林よしのりが、同じ様に口数で相手を言い負かす、という路線だ。
自決
by dehoudai
| 2014-09-18 22:37
| ほん
|
Comments(0)