2014年 07月 30日
鬼哭啾々 |
上洛を目指す武田信玄の旗は既に祝田の坂を降りて、浜名湖に掛かっているのかもしれない。犀ヶ崖周辺は如何だったろう。
冬の陽は短い。既に物陰は夜闇の気配を宿している。現在の地形からはなかなか掴み所が無い。犀ヶ崖の地形もどうであったか定かではない。牛山のテレビ塔の北側の谷の様なものであったかもしれない。
鬼とはつまり死んだ人のことで、鬼はしゅーしゅーと哭くそうだ。
本田忠眞は殿軍を勤めたそうな、平手監物の首は岐阜へ送られたそうな、といった兜首の話は後世に伝わるが、無数の蓑首の思いはなかなか伝わって来ない。
兜首は「護国の鬼」となった幸せな人たちだが「合戦」と言っても簡単に言えば年貢の奪い合いだ。
圧倒的多数の蓑首は「護国」どころか、年貢を取られた上に、年貢の奪い合いに駆出されて命まで取られ「護田畑」叶わずという、やり場の無い怒りを抱いて逝ったであろう人達だ。
「天下統一で平和な日本」であったお題目が「国民生活を守る。」だの「オリンピック」だのになっただけで、年貢の奪い合いという中身は、あまり変わっていない。
国でやった方が良いものは主権者たる国民が決めて、そのための費用を主権者が決めて払う、と言う近代国家の要件が、この国には整っていないのだ。これが財政赤字に歯止めのかからない原因となる。戦国時代ではないので国外に「悪役」を求め「戦争やってチャラにしよう。」しか道が残されていない。
伝わらない話が凝り固まって大念佛となっている。
by dehoudai
| 2014-07-30 14:00
| 浜松の都市伝説
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