2014年 05月 16日
福田半香 |
某家に福田半香が掛けてあった。お定まりの山水だ。バナナの葉っぱは難しいが、伊豆半島だの御前崎だのには、南画の風景に似た所がある。師匠の渡辺花山君の在所、三州田原にも「海外」の風が吹き付けていただろう。
海外に詳しく、韮山へ反射炉を築き、品川沖御台場を築いたのも伊豆の御代官様だった。普通「御代官様」と言うと、150石取りくらいの、今で言えば本省から出向した部長さんぐらいを想像するが、江川太郎左衛門は徳川幕府の代官ではなく、故地を守る源頼朝公の代官なので、大名よりもエライのだ。
福田半香は見附宿の人で、遠州では時々見掛ける。蛮社の獄で田原藩士渡辺華山君が蟄居謹慎を命ぜられたとき、師を救うための画会をひらいて、妖怪鳥居耀蔵に付け込まれた門人の中にも入っていた筈だ。
遠州だの仙台だのと言う国元には「海外」の風が直接吹き付けるが、江戸は入り江の奥の「江の戸」なので、「海外」の風なぞどーでも良い、という人物が特高警察の親玉だったのも、幕末の不幸だ。
田沼意次公が幕閣に上り詰め「大名になったのだから、城をやろう。」と言われた時に、「御畏れ乍ら相良を、」と言ったのは伊達と組んでメキシコ銀、という筋書きだったと思うが、南画の「山居」という発想もあったのではなかろうか。相良女神はちょうどそうした南画にぴったりの山だ。
江戸よりも浜松の方が「海外」に近いのは、南北朝の頃に仏法を慕った色目人が「半僧坊大権現」として祀られている事からも知れる。
by dehoudai
| 2014-05-16 11:07
| ほん
|
Comments(0)