2014年 03月 13日
徳寿宮 |
1920年12月に起きた京城黄金町の、中村與資平建築事務所焼失は事故なのか?事件性は無いのか?愛国義士が居たことだって考えられるぞ。なにせ1920年12月のことなのだから。
韓国国立図書館で当時の新聞を見たことがあるが、設計事務所の火事なんてのは乗っていないのだ。図は12月20日の朝鮮日報。
うーん、今となっては解らないでしょう。そうしたことがあったにしても、学術調査の対象というより小説の範疇でしょうね。
三島には昌徳宮があるぞ、と言ったら、
あ、それはね。李王職の財産目録というものがありますから、そちらから探せるかもしれません。
ということだった。
「失はれんとする一朝鮮建築のために」まで、柳宗悦は陶磁器みたいなものを追いかけていて、建築物とのリンクが解らないのだが、中村の義兄が朝鮮第一銀行の支配人をしていたというので、ここがリンクにならないだろうか。これも謎だ。
by dehoudai
| 2014-03-13 15:52
| まちづくり
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