2013年 12月 13日
共に食べる |

家族を突き詰めて行くと「一緒に食べる」ということになりはしないか。
「最後の晩餐」でなくても坊さんからパンをも貰ったり、ワインを貰ったりと言うのを、西洋でも古くからやっている様だ。
本朝では大嘗祭に際して、神と共に食べた人が天皇と称するらしい。
大嘗祭では何を食べているのか知らないが、諏訪大社では神と共に「兎の串刺し」「鹿の肉」を食べるのが本格であるようだ。
「一緒に食べるのが家族」と言うのは動物の世界にも共通するのではなかろうか。当家の猫翁を見ていると、彼なりに様々な「食事のルール」を持っている様だ。有難いのは
1.獲物
2.食事
3.エサ
という順番だ。腹が減っている訳でもないのに「くれー、くれー」と言うのは、愚息に言わせると「食べたいのではなく、貰いたい。」のだそうだ。名言。
愚息は17年前の台風の豪雨の折、公園の庭石の下の穴の中で、目が開かないままねーちゃんと二匹で鳴いていたのを、この世につまみ上げてくれたので、溺死しないで済んだ、という人なので「絶対」なのだ。オヤジはすぐに「うるさい。」とか「猫らしくない。」とか言うので煙たい。
人間の食事の支度を始めると、うるさいのでレトルトのエサをくれておいても食べない。さて人間が食べようとすると、椅子に座り、神妙な顔をして何を食べているか観察-待っている。食べながら別の皿に取って出すと、幸せそうにお召し上がりになる。
台所の足下でエサを食べるより、皆で一緒に食べるのが幸せなのだが、もっと幸せなのは獲物だ。歳を取って左の牙が半分抜け掛かっているので、痛くて使えないのだが、焼き魚など食べているうちに「獲物気分」になり、足で押さえて引きちぎろうとする。
今では獲物と言っても虫かトカゲくらいが良いとこだ。子供の頃には、ねーちゃんが大きなネズミを引きずって来たら「ふーっ。」とねーちゃんを脅して、びっくりしたねーちゃんがネズミを取り落とした隙に、ネズミをくわえて隠れ家に引きずって行っ、て食ってしまったこともある。
人間の食い残しを下げると喜んで食べる。猫の食い残しを仕方無しに人間が食べる。「お下がり頂戴」というのにも色々とルールがあるのだろう。夜中に台所のカウンターで、人間の食べ残しを食べているのにも獣の迫力がある。
年中コンビニ弁当という人間様より贅沢ではなかろうか。
by dehoudai
| 2013-12-13 15:02
| たべもの
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