2013年 11月 10日
歌舞伎交流 |
事務所の片付けをしていたら、ふろしき包みあり。長唄の稽古本がひと〆出て来た。昭和2年刊というのと、昭和22年刊というのが大部分だ。
昭和2年は家尊23歳、税務署のバイトを始めた頃だ。
昭和22年は家尊43歳、一命を取り留めて満州から引き揚げて来た頃だ。
家人は汚いから捨てろと言う。古本屋はそんなもんやる人居ないから売れんと言う。思い出したのが知波田の歌舞伎連。欲しいという人がいるかもしれんと思ったが、17日に豊橋で演るようだ。欲しいか聞けば、「持ってこい。」と言われるだろう。
昭和2年から昭和22年までが、家尊の人生で最も充実していて然るべき時なのだが、大蔵省の課長から苦力までと、平時には考えられない非常時の体験をしている。
知波田の歌舞伎連は「寺子屋」をやる様だ。母はこれが大嫌いだった。一粒種を主君の身代わりに差し出す、という話が悪趣味だというのだ。しかし悪趣味な筋書きの割には人気がある演目だ。オサムライサン連はこれを見て、血の涙を振絞ったかもしれないが、素っ町人はそうでもなかろう。
忠義と言って自分の子供を殺すなど極悪非道、人間のやるこっちゃねえ、俺っちゃ素っ町人で良かった。
というのが人気の秘密ではなかろうか。
昭和20年代は警察力が崩壊し「白鞘組」の伝統通り、治安維持に渡世人が駆出された時代だ。マッカーサー天皇は「民主主義とは日本人をキリスト教徒に改宗することだ。」と信じていたらしいが、昭和20年代の芸能は「ゲート前のライブハウス」ということになった。
ところが家尊の世代は「菅原伝授手習鑑」と「与話情浮名横櫛」なので、他国で傷だらけになって帰って来た復員兵相手に「死んだ筈だよお富みさん」と歌った歌が大ヒットしたのだ。
息抜きで済んでいる間は良いのだが、それが世の中を変えそうな勢いになると、権力は突然牙を剥いて「御縄頂戴」となる。幕末に歌舞伎もののお咎めが多いのは、乱世だからだ。幕末明治の芸能シーンも、そうしてみると面白い。
私など新宿駅西口地下広場に集まって、御政道に盾を突いていたら、ジュラルミン製の盾ではじき飛ばされてしまったのだが、芸能には元々そうした、権力に歯向かい、敵わない時には「自衛隊に入ろう」などと嘲る様なところがあるのだろう。
臺湾には1950年からつい最近まで、「世界史上最長の戒厳令下」という時代があった。御政道に盾を突くと、法の裁きを受けることも無く、ある日突然姿を消してしまう、という恐怖の時代だ。そんな時代に活躍した柳三郎の流行歌が、李登輝以来の民主化で再び脚光を浴びている。サキソフォンでむせび泣きまくっているのは秋本熏という人だ。
田舎芝居の大名跡、大鹿村からは「静ちゃん」を出すそうだ。今の子供はドラエモンの静ちゃんしかご存じなかろうが、これも子供を殺される、という話だ。
乳幼児死亡率の高い時代なので、子供が殺される、というのは人気演目で、女衆から血の涙を搾り取ったという面もあろう。
歌舞伎の演目も多数あるので、少子高齢化の時代に、高齢者の共感を得る外題もあるに違いない。
by dehoudai
| 2013-11-10 14:40
| まちづくり
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