2013年 11月 09日
文化の殿堂 |
なぜ?
日本酒の藏付麹と同じで、黴を育てるのに100年掛かる。
浜松は「楽器の街」と言われるが、生ハムと同じ様なことがありはしないか?
アクトホールには、数十億円を掛けてドイツで製作された、パイプオルガンがあるそうだが、数年前スプリンクラーの誤操作で水浸しになり、修繕にさらに数億円が掛かったそうだ。
それで良い音が出れば立派なものだが、何せあれは木管楽器なので、毎週欠かさず演奏して、数百年経てば良い音になる、というシロモノではなかろうか。
しかもドイツと日本では年間の温度湿度が全く違うのだが、使わないときでも一年中ドイツと同じ空調をしなくては「良い」音にはならないだろう。
浜松では夏期が高温多湿、冬期が低温低湿だが、欧州では夏期が高温低湿、冬期が低温高湿となる。これが「良い音」を育てる必須条件だ。設置場所が大型ホールなだけに、原発でもなければ電気がまかなえなかろう。
しかも浜松には毎週欠かさずキリスト教の宗教音楽を聴く、という人がどれほど居るのかと考えると、大変なモノイリだ。
木管楽器に較べれば、金管楽器は素材の性質が安定している。某ウィーンフィルの金管パートには、日本で演奏会があると、余分に日程を取って、新幹線で途中下車する人が居るそうだ。言うまでもなく浜松の職人に楽器の手入れをしてもらう為だ。
職人は一流なのだが、職人の意見も聞かず「立派なパイプオルガンが欲しい。」と宣う企画方面には、欧州の絶対王政の残骸に、拭いきれない劣等感を持ち続ける人々がいるに違いない。贅を極めたルイ王朝は同時に「飢餓の王国」でもあり「赤ずきんちゃん」の話は、当時横行した家庭内人肉食の話だそうだ。
魂の無いやつが立派な仏を欲しがるものさ。
というのは各地でホールの設計をされている、浜松出身の某氏のオフレコ。
アクトホールに較べると、利町の教育文化会館--昔の市民会館の方は、練習室の稼働率が高い様だ。まだホールが残してあるのなら、いっその事ホールを区切って練習室にしてしまえば、さらに稼働率が上がるのではなかろうか。
「外国から一流の音楽家を呼んで鑑賞する」というより「同好の士が集まって演奏を楽しむ」という方が、趣味としての音楽の裾を拡げる筈で、地域の文化水準としては上なのではなかろうか。
ウィーンだのミラノが一流と思う方は、自費で現地に通うのが良かろう。世界中に植民地を拡げた祟りで、19世紀までに溜め込んだ、骨董品を売り物にする人々が迎えてくれる。
19世紀絶対王政の残骸への劣等感は、中学高校6年間も教えて「英語がしゃべれないのは恥ずかしい。」というのと同じ発想だ。地元に昔から伝えられた文化は「遅れたもの・劣ったもの」という発想も、明治以来あまり進歩していないのだろう。
御一新以来、自分の頭で考えてはいけません。隊長さんが死ねと言ったら、言われた通り死になさい。という富国強兵の為の教育を受け続けて来た優等生が、行政部門には多いのだろう。
先年、芸大教授がストラティヴァリウスのバチモンを掴まされて、数千万の税金が消えた話も記憶に新しい。
そうした物まねで、白人キリスト教徒の尻をなめる様なことを続けているのは、文明開化の後遺症ではなかろうか。どうも「地域の文化」とは言いにくい様な気がする。地域には世界の人々がうらやましがる、大八嶋の自然環境に根ざした、伝統文化があるのを、何故誇らないか、不思議だ。
遠州地方は東西文化の接点である。新居の関所だけでなく、西日本と東日本の栽培植物の分布から見ても、天竜川から浜名湖辺りが、東西の分界線になると、国立民族学博物館の小山修三名誉教授は述べておられる。
栽培植物の西日本型と東日本型はユーラシア大陸を南北に分けてヨーロッパに達すると言うから、浜名湖周辺を調べれば、面白いことはいくらでも出てきそうだ。
カール大帝が西欧を平らげた頃、新所の原から東に下る岡崎の坂が関東の入口だったかもしれない。遠江という国号はそんな連想を抱かせる。1192年京都から鎌倉に帰る頼朝が橋本駅で詠んだ歌には「関東に帰って来た。」という安堵感が感じられる。
江戸では万国運動会とて、醜悪な環境破壊・文化破壊・歴史破壊を企てるものが居る様だが、お出入り業者の懐を肥やすだけで、64年東京オリンピックの如く「日本人のライフスタイルを変える」ことはあるまい。
2600年東京オリンピックのテーマソングたる「東京音頭」の方が、オリンピック自体は中止されたにもかかわらず、今だに盆踊りの定番として「日本人のライフスタイル」の一部となっている。
事態を悪くするのか良くするのか、注意してみていた方が良いのが「平成の大合併」だ。御奉行様が自治省に脅されて合併してみたところで、村々のライフスタイルは変わるものでもない。
元々住民のライフスタイルに立脚しない「文化の殿堂」が、それぞれの地域に必要かどうか、もう一度振り返る必要があろう。地元にあるものは「遅れたもの・劣ったもの」であり「先進国の優れた文化」を地域に分け与える、という上から目線の時代でもなかろう。
地元と関係のないものを「文化の殿堂」として上から目線で押し付け、全国一律にばらまいて来たことも、「文化の殿堂」の稼働率が上がらない理由のひとつだ。
テレビでは矢沢永吉が田舎から出て来て「ヨコスカ駅で野宿した。」みたいなことを言っていた。我々団塊の世代は「米軍基地ゲート前文化」の世代だ。そんな我々の為に「オールディーズライブハウス」という看板を出した「ケントス」という店が浜松にもあった。
「団塊世代の文化の殿堂」は「米軍基地ゲート前」の「ライブハウス」なのだが、浜松辺りでは経営が成り立たないのか、そのうち無くなってしまった。
様々な電子機器の発達で「60年代ポップスに狂う。」という、世代の違うものには見せたくない姿は、自宅に同好の士を呼んでやれば良い時代だ。
同級生にアルトサックスの使い手がいて、自宅で練習したいというので
木造では無理。
と言ったら、
じゃあ建てない。
ということもあった。結果音楽室のみRCで「内張り」という木造住宅が出来たのである。半田山に建つ戸建て住宅
by dehoudai
| 2013-11-09 13:37
| まちづくり
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