2013年 09月 19日
スクオモーフィック空間 |
CADのヴァージョンアップをやめようと思った理由のひとつに、3dレンダリングの問題がある。データに様々なテクスチュアを張り込んでやると、いかにもそれらしい画像が得られる、というものだ。
かくして設計者は「空間とは」と深く問う事も無く「消費者」を丸め込む事が出来るノデアル。「消費者」は苦労する事無く、好みの住空間を手に入れる事が出来るノデアル。何せ建材そのものがそっち方面へと進化し続けるノデアル。
東京駅舞浜線のホームに至る「動く歩道」は、まるでテレビゲームの中にいる様で、気持ち悪かった。多分東京オリンピックもそんな空間で行なわれる事になるだろう。
全てがテレビゲームと同じテンポで進んでしまう。生活の他の場面同様、住空間もヴァーチャルリアリティの物質化に過ぎない。物を「使い込む」とか、自分がそのものと共有した、時間による経年変化を慈しむ「さび」といったことは昔話だ。
かくしてこの国の建築設計における「スクオモーフィック技術」は、住宅を単なる「消費材」に貶め、経年変化は単なる「劣化」としてしか顧みられない。
住宅は「30年経ったら粗大ゴミ」となり、先進国の中では異様な住宅景観が国にあふれる。スチュアート・ブラント式に言えば「建物が景色になるには50年掛かる」のだが、平均寿命35年の我国では、住宅地には「景色が無い。」
木造と石造という技術の問題ではなく、「一生掛かって家一軒」という、住宅は住む人の為の物ではなく、国策企業の利益の為に存在という、住宅政策がその理由だ。
3dレンダリングのテクスチュアも、そうした「消費文明」の産物に思えて、居心地が悪いのだが、深く考える事も無い消費者を手軽に扱って、設計料を稼ぐには便利な道具なのだろう。触っているとついめり込んでしまうのだが、テクスチュアのパラメータ処理が膨らみ続けるのを眺めていると、もうそのぐらいで良いんじゃないの、と思うのだ。
クパティーノの本社ビルのレンダリングでも、様々な「スクオモーフィック論争」が交わされた事だろう。
これで良いのだ
iPhoneとiOS7
スクオモーフィック空間
by dehoudai
| 2013-09-19 17:06
| まっく
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