2013年 08月 15日
靖国神社はイカン |
靖国神社は「国のために死んだ」人々を祀る、としているものの、死んだのが「国のため」なのか、そうでないのかは、国が勝手に決めている。
徴兵のために嫌々日本軍兵士として、恨みを残して死んだものは、否応無しに祀られるが、空襲のために死んだものは「国のために」死んだのではなく、国の意向に反して「敵軍に殺された」のだから祀らない。戊辰戦争の官軍側の死者は祀るものの、幕軍・同盟軍の死者は「賊軍」であるので、祀らない。
出雲大社は「皮を剥がれて」死んで行った、敗軍の死者を祀るところから始まり「幽明一如」として、全ての死者を分け隔てなく祀っている。
イスラム同胞団と反イスラム同胞団の争いが、エジプト全土に拡がっているようだ。お互いに「国のため」に死んで行くのだろう。「民主主義」ということで、イスラム教徒の押す大統領が、国民投票で選ばれたのが気に食わん、という人々が騒ぎ始めたのが発端だ。
どうもマッカーサー元帥が信じていたように「民主主義というのは、異教徒をキリスト教徒に改宗させることだ。」と信じる人々がエジプトにも居るのだろう。
選挙で選ばれた大統領が、イスラム教徒なのは気に食わんから、チャラにしようというのでは民主主義もクソも無いだろう。
日本でも銃弾が飛ばないだけで、「民主主義というのは、米国の植民地にすることだことだ。」 という手合いは居る。
小沢事件は検察ファッショとメディア・ファシズムが結合した静かな政治クーデターだそうだ。
靖国神社は、長い日本の歴史から見れば、一神教という異質の存在だ。吾人は「宇宙の全ては創造主が7日で作った。」という迷信よりも、エコロジーそのものである、八百万神の方を信じる。
靖国神社には行かないよ ―― ある特攻隊員の遺書
旭香美甘政和翁
うさちゃん
私はあれ以来行っていない
130816
Too Long Peace?
忘れて良いこと悪いこと
by dehoudai
| 2013-08-15 10:17
| はんせんろん
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