2013年 07月 28日
ベトナム現代短編集1 |
ベトナム現代短編集1
加藤栄編訳
大同生命国際文化基金 1995
実に面白い。まことに豪華な本だ。西貢か河内の本屋を覗いて、面白そうな本をあれこれ立ち読みしている感じ。ヴェトナム語というのは実に不思議な言葉なのだが、それが日本語になっているのが何とも有難い。訳者の労作だ。
そしてさらに面白いのがその内容。
フランスが第1次サイゴン条約を押し付けて、南部3省を割譲させたのが、下関戦争の前年、文久2(1862)年のことだというので、遠州森の石松が浜松市小松村で斬り殺された年だ。
その後1975年4月30日のサイゴン陥落によって外敵は去るが、1979年までは戦時中のことで文芸どころではなく、ドイモイ政策で鎖国が終わったのが1986年だそうだ。日本で言えば文明開化から高度経済成長までが、何分の一かの時間で走り過ぎたのだろう。胡志明さんは「民族解放」と言ったのだが「勝てば官軍」で弱いものいじめをするものも出て来よう。
先日は1975年4月30日、サイゴンの大統領官邸へ押し込んだ戦車兵が、無くなったというニュースがあった。晩年は養魚場をやっていた、ということだったが、そこまで恵まれなかった「民族英雄」も居よう。
硫黄島摺鉢山へ星条旗を立てた写真は、再現写真だという映画があったが、本書にも同じ筋書きの話が収められている。
文久2年の頃には日本もヴェトナムも、寒村では似た様な暮らしをしていたのだろうが、日本ではその後文明開化に始まって大東亜共栄圏あり、戦後の民主化ありと、150年程の近代を経験して来た。ところが彼の地の田舎ではその間、近代化などとは程遠い暮らしが続いていたのだろう。それがドイモイ政策によって田舎の暮らしにも激流が押し寄せる。
本書第1巻に収録されている短編は、日本で言えば幕末明治から昭和20年代までが、ごちゃ混ぜになっている感じ。円朝の怪談みたいなのもあれば、尾崎紅葉、長谷川時雨、幸田露伴、広津柳浪といった明治小説から昭和20年代のアプレグエルまで「小説とは何ぞや」という概念自体の変遷が、1980年代に凝縮しているのだろう。
芸人の話も出て来るが、日本で言えば新内の流しの如きものが、ヴェトナムではつい昨日まで生きながらえていた様でもある。数日前、さる人にSau dau ue ngoaiを聞いてもらったら「津軽三味線の吉田兄弟かと思った。」とのことだったが、故無きことではあるまい。
映画も同様で、1980年前後に作られたらしい「黃花探の乱」の映画など、歌舞伎とハリウッド映画をつき交ぜた様な感じだ。
あまりに面白いので、一気読みは不可能だ。
本日の西貢解放日報によれば米国訪問を終えたサン大統領は「教育が開発の鍵」と強調している。ヴェトナムも「フルブライト留学生の時代」になりつつあるのだが、これまで修行が積んでいる分、日本とは違う道を歩むのだろう。
それにしても「インフラ整備ならヒモ付の金を貸しますよ。」という、国内還流にたかる国策企業のパシリにも困ったものだ。
ベトナム現代短編集2
加藤栄編訳
大同生命国際文化基金 1995
実に面白い。まことに豪華な本だ。西貢か河内の本屋を覗いて、面白そうな本をあれこれ立ち読みしている感じ。ヴェトナム語というのは実に不思議な言葉なのだが、それが日本語になっているのが何とも有難い。訳者の労作だ。
そしてさらに面白いのがその内容。
フランスが第1次サイゴン条約を押し付けて、南部3省を割譲させたのが、下関戦争の前年、文久2(1862)年のことだというので、遠州森の石松が浜松市小松村で斬り殺された年だ。
その後1975年4月30日のサイゴン陥落によって外敵は去るが、1979年までは戦時中のことで文芸どころではなく、ドイモイ政策で鎖国が終わったのが1986年だそうだ。日本で言えば文明開化から高度経済成長までが、何分の一かの時間で走り過ぎたのだろう。胡志明さんは「民族解放」と言ったのだが「勝てば官軍」で弱いものいじめをするものも出て来よう。
先日は1975年4月30日、サイゴンの大統領官邸へ押し込んだ戦車兵が、無くなったというニュースがあった。晩年は養魚場をやっていた、ということだったが、そこまで恵まれなかった「民族英雄」も居よう。
硫黄島摺鉢山へ星条旗を立てた写真は、再現写真だという映画があったが、本書にも同じ筋書きの話が収められている。
文久2年の頃には日本もヴェトナムも、寒村では似た様な暮らしをしていたのだろうが、日本ではその後文明開化に始まって大東亜共栄圏あり、戦後の民主化ありと、150年程の近代を経験して来た。ところが彼の地の田舎ではその間、近代化などとは程遠い暮らしが続いていたのだろう。それがドイモイ政策によって田舎の暮らしにも激流が押し寄せる。
本書第1巻に収録されている短編は、日本で言えば幕末明治から昭和20年代までが、ごちゃ混ぜになっている感じ。円朝の怪談みたいなのもあれば、尾崎紅葉、長谷川時雨、幸田露伴、広津柳浪といった明治小説から昭和20年代のアプレグエルまで「小説とは何ぞや」という概念自体の変遷が、1980年代に凝縮しているのだろう。
芸人の話も出て来るが、日本で言えば新内の流しの如きものが、ヴェトナムではつい昨日まで生きながらえていた様でもある。数日前、さる人にSau dau ue ngoaiを聞いてもらったら「津軽三味線の吉田兄弟かと思った。」とのことだったが、故無きことではあるまい。
映画も同様で、1980年前後に作られたらしい「黃花探の乱」の映画など、歌舞伎とハリウッド映画をつき交ぜた様な感じだ。
あまりに面白いので、一気読みは不可能だ。
本日の西貢解放日報によれば米国訪問を終えたサン大統領は「教育が開発の鍵」と強調している。ヴェトナムも「フルブライト留学生の時代」になりつつあるのだが、これまで修行が積んでいる分、日本とは違う道を歩むのだろう。
それにしても「インフラ整備ならヒモ付の金を貸しますよ。」という、国内還流にたかる国策企業のパシリにも困ったものだ。
ベトナム現代短編集2
by dehoudai
| 2013-07-28 15:35
| ほん
|
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