2013年 05月 06日
復讐と憤り |
大統領の狙いは銃を持つものへの「復讐」であり、それにもかかわらず全米で新たに銃を所持する人は毎年何百万人に達する。これは「恐れ」からではなく「憤り」からだ。というのだが、何となく
従軍慰安婦は国の命令ではないというロジックを振り回す人々に似たものを感じる。「復讐」される正当な理由があり、それを「怖れ」ているのだね。
伊江島の集団自決は国の命令ではない
ひとたび人道に背いたものは、良心によって長く自分の影に脅える。「脅え」は「怖れ」となり、いつしかそれが「憤り」とすり替えられる。
米国は建国このかた「戦争で大きくなった」国なのだが「あの戦争は間違っていました。」というのがなかなか国論とならない。「大陸間弾道弾を作るためには、国民は餓死して下さい。」と大して変わらない。今日もアフガニスタンで子供を殺したり、沖縄で女子中学生にまたがったりしている。加川良君に言わせれば
失礼しましたで 終るだけだ。
もう少し考えてみると、これが「呪い」「祟り」の構造なのではなかろうか。呪いは外からやって来るのではなく、祟りは迷信でもない。罪の意識による精神的自壊作用だろう。そうした良心の呵責を「憤り」とすり替えて強がって見せることで、既に祟りに苦しめられていることが良く解る。
米国では「ウィンチェスターハウス」が「呪われた家」として有名だ。全米ライフル協会は単なる「銃器産業の利益保護」というのがUSATodayの論調だが、これとて「金の祟り」と説明できる。
by dehoudai
| 2013-05-06 10:32
| にゅーす
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