2013年 03月 30日
演歌 |
明治時代の演歌は添田唖蝉坊や川上音二郎なんぞの「歌による自由民権運動」みたいなもので「演説歌」ではなかったろうか。それが1968年には新宿駅西口地下広場で、子供らが「大人はウソつきだ。」と始めたものだから、これは国民教育上好ましくない、と考える者もおっただろう。
それまでの「流行歌」は戦地から帰って来て、手に職はないが、家族を食わせなければならないという復員兵の為に、産業界が「終身雇用・年功制」をひっかぶったテーマソング「お富みさん」に続いて、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ。」という植木等の連作が高度経済成長のバックに流れていた。
そこで子供達が声を挙げた、新宿駅西口地下広場のフォーク集会は、「歌による自由民権運動」みたいなもので、もしかすると日本の進む道を変えていたかもしれない。
これはイカンというわけで、流行歌の中でも東北民謡などを素材に「酒と女と雨と夜」をちりばめて「仕方が無い」と歌うものに「演歌」というネーミングを付けて、元来の「演説歌」となるのを防いだのではなかろうか。
「子供達は天下国家を歌ったりしないで、惚れたはれたとやってて下さい。」というわけで「同棲時代」を彩る「ニューミュージック」なる国民教育手段が始まり、吉田拓郎、井上陽水などがそのレールに乗った。
新寶島康楽隊に聞く様な臺湾の歌が面白いのは「天下国家を歌うのが歌だ。」という辺りだ。李登輝総統の時代の、大陸を実効支配する中国共産党に対抗するには、民主主義が最良の手段という判断が、今でも様々な歌を作り出している様だ。振り返ると日本の「流行歌」が面白くないのは、「天下国家を歌ってはならない。」というわけで、中国共産党中央宣伝部のご指導によるものと似ているからだ。
「本当は明るいポップスを歌いたかった。」と言っていたのも青江三奈さんだったと思う。事情は韓国でも同じ様なもので、朴正煕維新政府の元で「釜山港へ帰れ」を歌わされた趙容弼君の新曲はポップスだ。
by dehoudai
| 2013-03-30 09:55
| うた
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