2012年 12月 18日
図書館の死 |
銀河鉄道の夜
ますむらひろし
朝日ソノラマ/昭和58年
市立図書館のAVコーナーに、アニメなど置いてないか探しに行ったが、そんなものは置いてないのだね。あるのは「NHKアーカイブスで借りられます。」というやつやら、能・歌舞伎・落語なんぞだけだ。
吹き出してしまったのはAVコーナーの過半がVHSのテープで埋められているのだ。借りる人は居るのだろうか。
ぶつくさ言いながら、ますむらの原書を借りて来た。オリザの沼ばたけが海水に浸かって、呆然とする被災者の話を聞き、アタゴオルの近所を走ってみて、もう一度見てみたいと思った次第。アニメではどうなっているのかも興味がある。ますむらひろしの透明感には宮沢賢治の透明感に通ずるものがある。賢治の原作は小学校に上がるころ、難しい漢字を飛ばして読んだ覚えがある。その頃刷り込まれた記憶の断片を集めて、学生時代には「アルビレオの観測所」の設計図を書いてみたりもした。
伝統芸能もまた日本文化を代表するものではあろうが、その入口にあるのはアニメではなかろうか。外国人にとっていきなり能・歌舞伎・落語といったところで解りはしまい。「どうせてめえらには解りはしめい。」と居丈高に構えるのも悪い癖だ。何よりこれからは、それでは経済が成り立たない。アニメーション映画に引きつけられ、それが浮世絵の制作スタジオの進化形である事を知り、それから日本語を学んで能・歌舞伎・落語にたどり着くという順序ではなかろうか。
江戸文化の真髄をいうなら、テレビに出ない滝川鯉昇が、高座の後で一杯引っ掛ければそこいらの大学教授など「師匠の足の裏でもなめておれ。」という感じなのだが、そうした文化の頂点をVHSテープで並べておくより、アニメの名作を手軽に見られる方が、図書館の存在価値を高めるのではなかろうか。貸し出しシステムをきちんとして、電子書籍も図書館で借りられる様にして欲しい。箱だけ作っても人は来るまい。さも無ければ「古文書館」と名を変えるが良い。
ますむらひろし
朝日ソノラマ/昭和58年
市立図書館のAVコーナーに、アニメなど置いてないか探しに行ったが、そんなものは置いてないのだね。あるのは「NHKアーカイブスで借りられます。」というやつやら、能・歌舞伎・落語なんぞだけだ。
吹き出してしまったのはAVコーナーの過半がVHSのテープで埋められているのだ。借りる人は居るのだろうか。
ぶつくさ言いながら、ますむらの原書を借りて来た。オリザの沼ばたけが海水に浸かって、呆然とする被災者の話を聞き、アタゴオルの近所を走ってみて、もう一度見てみたいと思った次第。アニメではどうなっているのかも興味がある。ますむらひろしの透明感には宮沢賢治の透明感に通ずるものがある。賢治の原作は小学校に上がるころ、難しい漢字を飛ばして読んだ覚えがある。その頃刷り込まれた記憶の断片を集めて、学生時代には「アルビレオの観測所」の設計図を書いてみたりもした。
伝統芸能もまた日本文化を代表するものではあろうが、その入口にあるのはアニメではなかろうか。外国人にとっていきなり能・歌舞伎・落語といったところで解りはしまい。「どうせてめえらには解りはしめい。」と居丈高に構えるのも悪い癖だ。何よりこれからは、それでは経済が成り立たない。アニメーション映画に引きつけられ、それが浮世絵の制作スタジオの進化形である事を知り、それから日本語を学んで能・歌舞伎・落語にたどり着くという順序ではなかろうか。
江戸文化の真髄をいうなら、テレビに出ない滝川鯉昇が、高座の後で一杯引っ掛ければそこいらの大学教授など「師匠の足の裏でもなめておれ。」という感じなのだが、そうした文化の頂点をVHSテープで並べておくより、アニメの名作を手軽に見られる方が、図書館の存在価値を高めるのではなかろうか。貸し出しシステムをきちんとして、電子書籍も図書館で借りられる様にして欲しい。箱だけ作っても人は来るまい。さも無ければ「古文書館」と名を変えるが良い。
by dehoudai
| 2012-12-18 18:39
| ほん
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