2012年 10月 08日
善意の好奇心 |
被災地のこの一年半の生活は「道端で暮らしている」様なもので、通りかかる人の好奇の目にさらされ続けて来た。そのストレスは並大抵なものではなかろう。悪質な好奇心なら追っ払ってしまえば良いのだが、困るのは「善意の好奇心」だ。「善意」と言ったところで、自分は安全なところから見ているのに変わりはないのだから、こちらの方が悪質とも言える。東北各地に繰り広げられる「ボランティア」の居心地の悪さも根は同じだ。
福島菊次郎さんが寄り添って来た、広島の原爆被災者の子息に拒絶された、という話も同じものだ。「報道」の腕章のいかがわしさもここにある。福島県からの圏外移住が増えているというのも、放射能の危険性に付いて、信じられるものが無い、というだけでなく、こうした「被災者やるのやんなっちゃった。」というのもあるだろう。
それでも住み続けるという人達と、どう付合えば良いか?小鐵さんは「で、結局のところ金でしょ?」と明快だ。かくなる上は相馬の飲屋まで「普通の客」をやりに行くぐらいか?
by dehoudai
| 2012-10-08 14:32
| きせつ
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