2012年 09月 14日
神の住む谷 |
見所はしかしそれではなく夜に入っての、このあたりで「けそう」=「化粧」と呼ばれる、祭禮式次第からすると「番外編」にある。興味のある人は「神輿還御」からが見所。
神ヶ谷村は明治末に耕地整理が成り、航空隊が来た頃には羽振りが良かったのではなかろうか。戦後も男達は古式の祭りを丁寧に受け継いでいる。
しかし昭和40年代以降「米を作っておれば幸せになれる。」という時代が終わると、祭りの様相も変わって来たであろうことが、氏子からも聞かれた。男達が務めに出て"Nine To Five"でエネルギーを吸い取られた後、村を守って来たのは年寄と女達だったようだ。
式内社の格式で古式の祭りを守る男達の式次第の番外で、女達と子供達の「参祭権運動」の実力行使が祭りを変えて行ったのではなかろうか。いや正式な式次第は守られているのだが、「番外編」が凄いのだ。
同様な「けそう」は舞阪町岐佐神社例大祭にも出没する。こちらは「お母さん達」の手が入らないだけにもっと凶暴で、宮本常一の「土佐源氏」同様、古い形だと思われる。なにせ集団トランス状態の女子中学生が「もしもしかめよ」「モモタロサン」と唱えながら、果てしも無く踊り狂うのだ。旧暦9月14/15日。
思い出すのは「竹田の子守唄」の一節
寺の坊さん根性が悪い字面を追うと寺の坊さんは悪いやつだということになるが、逆もありそうだ。誰からも優しい言葉を掛けてもらえない守子達にとって「寺の坊さん」は唯一無二の遊び相手なのだ。昼間の間そんな守子を相手に遊んでいる坊さん、と言っても「小僧」なのだが、日が暮れると山門を閉めなければならない。守子を頼む親達も決して裕福な訳ではなく、家に帰って子供を受け取るのはとっぷりと陽が暮れてから後だ。それは守子にも解かっているが「寺の坊さん」にも充分解っている。解っていながら山門を閉めなければならない小僧に向かって、守子は容赦ない歌を浴びせる。
守子去なして門閉める
貧しいながらも、貧しいからこそ、互いの心に通じ合う生き方をしていたものが「豊かに」なったとたん「親殺し」「子殺し」になってしまうのが、今の日本ではなかろうか?
秋祭り3
神の住む谷2
神の住む谷
by dehoudai
| 2012-09-14 15:05
| きせつ
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