2012年 09月 04日
Think Different |
Sau dau ue ngoai
Nhac si Cao Nhat Minh
Lachong Entertainment 2011
初めて聞いてすぐに心に響く音楽と、いつしか水の様に染込んで来る音楽とがある。
陳昇君の「滾滾遼河」とか矢多一生さんの「長春歌」とかは前者だが、ヴェトナムの音楽は後者であるようだ。
臺湾の歌の水源のひとつに戦前の「唱歌」が含まれていることもあろうが、それだけではなかろう。
このcdは店先で適当に手に取った「ベストヒット集」みたいなものだが、タイトル理解不能、曲名も歌詞も理解不能、というシロモノであるにも関わらず、じわじわと染込んで来る。
ジャケット写真は日本の演歌にも似て皆洋装なのだが、曲調は似ても似つかないヴェトナム風のものだ。
サイゴンのレストランのライブで見掛けたお嬢さん達は、伝統的な「芸人の装束」という出で立ちだったが、こちらの方がぴったり来るのではなかろうか。 ドンソン文明まで遡らなくとも「文郎国」の建国が2,500年前とのことなので、自然発生的な民謡から「音楽とは何ぞや」という文化が紡ぎ出されてからも、長い時間が経過しているはずだ。「芸人の装束」にもそれが感じられる。
日本は豊葦原瑞穂国であり、東方海中蓬萊島、つまりは文明果つる離れ島だったが、ヴェトナムは中華帝国から見れば、西方世界への喉元を扼す、という難しい地政学的立地を有しており、中華帝国との間の軋轢に苦しめられて来た。
そうしたヴェトナムの選んだ道は"Think Different"ではなかったか、という感じがこの「ベストヒット集」からも感じられる。言葉の響きからしてのんびりした南国風のもので「好戦的」という感じはしない。それを中華帝国もフランスもアメリカも「戦争はヘタそうだ」と勘違いしてしまったのだろう。
今日ではそうした中華帝国の辺境にも「集約化」「大型化」「普遍化」という近代技術が押し寄せつつあるのだが、ヴェトナムでは"Think Different"という異議申し立ての声も聞かれる。ハノイで文化体育観光省が開いた「3DCGで見る歴史的文化財展」で展示された復元写真の背景が「紅葉」「雪」だったので「日本かロシアでもあるまいに。」と不評を買っているそうだ。
近代技術が「普遍化」つまり世界中をのっぺらぼうにしてしまう、という方向へ走るのは、技術開発がこれまでキリスト教国を中心とした欧米と、それに追随する国々で発達したからではなかろうか。同じ旧約聖書を信奉する西洋三教では「俺の神様とお前の神様と、どちらが偉い。」となってしまい、「神の名における世界征服」となってしまうのだ。
近代オリンピックの発祥が、ギリシャを盾に取ったトルコいじめだとすれば、現今のギリシャの経済危機はそれのツケが廻って来たとも言える。
曹洞宗に帰依するスティーブ・ジョブス君は、そうした「神の名における世界征服」とは違う道として"Think Different"と提唱したのだろうが、東洋にありながら、長く中華帝国に事大の礼を尽くし、下っては大日本帝国と大米帝国のパシリを務める韓国の、近代企業に向かっては"Think Different"と唱えるのも大変な様だ。
Nhac si Cao Nhat Minh
Lachong Entertainment 2011
初めて聞いてすぐに心に響く音楽と、いつしか水の様に染込んで来る音楽とがある。
陳昇君の「滾滾遼河」とか矢多一生さんの「長春歌」とかは前者だが、ヴェトナムの音楽は後者であるようだ。
臺湾の歌の水源のひとつに戦前の「唱歌」が含まれていることもあろうが、それだけではなかろう。
このcdは店先で適当に手に取った「ベストヒット集」みたいなものだが、タイトル理解不能、曲名も歌詞も理解不能、というシロモノであるにも関わらず、じわじわと染込んで来る。
ジャケット写真は日本の演歌にも似て皆洋装なのだが、曲調は似ても似つかないヴェトナム風のものだ。
サイゴンのレストランのライブで見掛けたお嬢さん達は、伝統的な「芸人の装束」という出で立ちだったが、こちらの方がぴったり来るのではなかろうか。
日本は豊葦原瑞穂国であり、東方海中蓬萊島、つまりは文明果つる離れ島だったが、ヴェトナムは中華帝国から見れば、西方世界への喉元を扼す、という難しい地政学的立地を有しており、中華帝国との間の軋轢に苦しめられて来た。
そうしたヴェトナムの選んだ道は"Think Different"ではなかったか、という感じがこの「ベストヒット集」からも感じられる。言葉の響きからしてのんびりした南国風のもので「好戦的」という感じはしない。それを中華帝国もフランスもアメリカも「戦争はヘタそうだ」と勘違いしてしまったのだろう。
今日ではそうした中華帝国の辺境にも「集約化」「大型化」「普遍化」という近代技術が押し寄せつつあるのだが、ヴェトナムでは"Think Different"という異議申し立ての声も聞かれる。ハノイで文化体育観光省が開いた「3DCGで見る歴史的文化財展」で展示された復元写真の背景が「紅葉」「雪」だったので「日本かロシアでもあるまいに。」と不評を買っているそうだ。
近代技術が「普遍化」つまり世界中をのっぺらぼうにしてしまう、という方向へ走るのは、技術開発がこれまでキリスト教国を中心とした欧米と、それに追随する国々で発達したからではなかろうか。同じ旧約聖書を信奉する西洋三教では「俺の神様とお前の神様と、どちらが偉い。」となってしまい、「神の名における世界征服」となってしまうのだ。
近代オリンピックの発祥が、ギリシャを盾に取ったトルコいじめだとすれば、現今のギリシャの経済危機はそれのツケが廻って来たとも言える。
曹洞宗に帰依するスティーブ・ジョブス君は、そうした「神の名における世界征服」とは違う道として"Think Different"と提唱したのだろうが、東洋にありながら、長く中華帝国に事大の礼を尽くし、下っては大日本帝国と大米帝国のパシリを務める韓国の、近代企業に向かっては"Think Different"と唱えるのも大変な様だ。
by dehoudai
| 2012-09-04 12:52
| うた
|
Comments(0)