2012年 08月 20日
ちぐはぐ |
この時期の太陽の影の高さは水平距離の2倍くらいなので、壁の殆どの部分に日が当たっている。室内を適温にするためにエアコンを使うと、ソーラーパネルで得られた太陽エネルギーを一旦電気に変換し、再びそれを熱に変換し直さなくてはならない。そのためソーラーパネルで得られた太陽エネルギー何倍もの電力が必要だ。こうして莫大な熱が建物に取り込まれて行く。
敷地が狭いのでこうなってしまうということだろうが、首都圏でも八高線の奥は過疎化が進行するというのに、土地が無いというのもおかしな話だ。都市に人間が集中することを考え直せば、莫大なエネルギーが節約出来るはずだ。冬の同じ時刻にはこの時期の太陽の影は水平距離の1/2くらいなので、敷地が狭ければ南側の家の影になって、太陽熱を取り込むことは出来ない。エネルギーの多次変換をやるよりも、熱として直接取り込む方がはるかに効率が高いにも関わらずだ。
なぜこうなってしまうかと言うと、現在の産業構造・都市構造をそのままにして、既存の産業構造でエネルギー効率を変えようというところに無理がありはしないか?「東京が無ければ」原発は愚か火発も大幅に減らせるはずだ。
6月の鉱工業生産がマイナスだったことをもって、国外メディアは一斉に「日本の産業近代化は終わった」というセンチメントを煽っているが、これも「日本には技術の近代化はあったが、産業構造の脱近代化は無理」という見られ方をしているためだろう。
夏には太陽エネルギーを防ぎ、冬には取り込む、というのは伝統的な日本文化であった。文化財のロゴに使われている柱上の組物も、軒の高さに対する軒の出を調節するためのものであり、日本が世界に誇るべきソーラーデザインなのだ。
そうした伝統を破壊した上に、エネルギー効率の悪い住宅地を大都市周辺に拡げるという文化破壊が、近代技術だと勘違いする向きが未だに改まらない。土地神話が崩壊した今こそ、国土利用を「脱近代」に即して見直すチャンスなのではあるまいか。
22世紀まで使える家
夏と冬
床と壁
猫ののみを取るの権利
by dehoudai
| 2012-08-20 18:47
| まちづくり
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