2012年 01月 29日
清明上河図 |
「清明上河図」
張択端
北宋(12世紀)
どう考えても「明窓浄机で日がな眺め飽かず。」というものであり、押し合いへし合いの展示会場で見るべきものでは無いので、解説書を買って来た。これからじっくり見るつもり。
古来より名声伝四海、複写本数多、漢籍から幸田露伴の「観画談」に至るまで、この絵にヒントを得た文学も多い。中華人民共和国の国宝第1号みたいなもんだが、一緒に展示されていた故宮博物院の「お宝」と並べてみると、その素晴らしさが良く分かる。
「清明上河図」の素晴らしさは「生まれたもの」と「でっち上げたもの」の違いだろう。「書きたくて描いた絵」と「命によって描いた絵」の違いと言っても良い。
「清明上河図」は作者が、書き始めたら面白くて止まらなくなってしまった、という様子が良く分かる。それに対して故宮博物院所蔵の数々「お宝」は、皇帝陛下の御命によって描かれたものだ。「生まれたもの」に較べたら、「でっち上げたもの」には中華大帝国の国家予算を割いて、莫大なエネルギーが投入されている割には、感動が無い。
「清明上河図」と同じ道中絵巻という構成で「康煕帝南巡図巻」が展示されていたが、清初の大変なお宝、というだけで、感動が全くないのだ。同じ様な構成で描かれた巻物に江戸時代の「東海道分間延図」というのがある。上洛などに際し将軍様に街道の様子を知ってもらう、という実用価値はあるものの、感動を排して事実を描写しただけなので、「お宝」なのだが感動が無く、用が済めばゴミというところだ。
「清明上河図」の写本には、清代に至るまで後世の皇命によって描かれたものもある様だが、きれいな割には感動という点では「残り香」という感じがする。中には皇城まで描かれたものもあるが、「付け足り」「媚び諛い」でなければ「ぼくんちも書いてヨ。」という皇命によるものだろう。
張択端は城門を入ったところのレストラン、「孫羊店」というから小肥羊みたいなもんだろうか、まで書いて人生を全うしてしまい、「後は誰か書いて。」だったのだろう。この絵が成る事で一番幸せになったのは、作者本人という感じがする。京師の有様は「道中」とは違うので、別の書き方が適していると考えたのかもしれない。
同じ道中絵巻でも「清明上河図」は、作者が登場人物の一人一人にまでのめり込んで描かれた「漫画」なのであって、それが人々を引きつけるのだろう。
by dehoudai
| 2012-01-29 12:16
| ほん
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